「蔵前国技館」の版間の差分

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しまあじ (会話 | 投稿記録)
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この前年(1953年)の5月場所から[[テレビ中継]]放送が始まり、[[1958年]](昭和33年)5月場所からは、東西2階席手摺りに自動[[電光掲示板]][http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/16/0000279816/64/imgb3ce1b82zikazj.jpeg]が新設([[十両]]以上の取組)された。[[1955年]](昭和30年)5月場所(5月24日)10日目には[[昭和天皇]]が初めて国技館で相撲を観戦、以後[[天覧相撲]]は国技館で行われることとなる。
 
以上のように相撲史に残る数多くの出来事があり、「[[栃錦清隆|栃]][[若乃花幹士 (初代)|若]]時代」「[[柏戸剛|柏]][[大鵬幸喜|鵬]]時代」「[[輪島大士|輪]][[北の湖敏満|湖]]時代」の各黄金時代の舞台となるなど、蔵前国技館が使用されていた時代は、戦後の大相撲で最も活気ある時代でもあったといえる{{要出典|date=2011年7月}}。
 
この時代の興行収入や[[プロレス]]・[[ボクシング]]などの使用料収入が両国「新」国技館の建設費用に貢献したと言われている。プロレスでは、プロレスブームの出発点となった[[力道山]]・[[木村政彦]]VS[[シャープ兄弟]]の一戦に始まり、力道山VS木村の日本選手権、[[ミルドレッド・バーク]]らを招いて行われた日本初の[[女子プロレス]]大会、[[アントニオ猪木]]VS[[ジョニー・バレンタイン]]の[[東京プロレス]]旗揚げ戦、[[ジャイアント馬場]]VS[[ボボ・ブラジル]]の馬場の[[ドロップキック|三十二文ロケット]]三連発、[[ザ・ファンクス]]VS[[アブドーラ・ザ・ブッチャー|ブッチャー]]・[[ザ・シーク|シーク]]の[[世界オープンタッグ選手権]]最終戦など、昭和プロレスの名勝負の数々が戦われた会場でもある。ボクシングでも[[ポーン・キングピッチ]]VS[[関光徳]]の世界[[フライ級]][[タイトルマッチ]]を皮切りに数多くの世界戦が組まれた。蔵前で初めて世界王座を獲得した日本人選手は[[ファイティング原田]]で、ポーンを11RKOで退けた後に世界チャンピオン誕生を祝福する[[座布団の舞]]が起こった。また、[[沼田義明]]VS[[小林弘]]の史上初となる日本人同士の世界戦が行われたのも蔵前である。