「イスパノ・スイザ HS.404」の版間の差分

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イギリスはHS.404の製造許可を取りつけ、イスパノ Mk. I (Hispano Mark I) として1940年に[[ウェストランド ホワールウィンド]]へ搭載し、後にイギリスでベルト給弾システムが開発された。[[バトル・オブ・ブリテン]]中には[[スーパーマリン スピットファイア]]にも搭載(Mk.Ib/Mk.II)されたが、旋回時の装弾不良などから部隊での評判は必ずしも良くはなかった。さらに[[イギリス空軍]]と[[イギリス海軍]]艦隊航空隊は[[1941年]]に細かな改良を加えたイスパノ Mk. II (Hispano Mark II) を採用し、ブローニング機関銃8挺を装備していた[[ホーカー ハリケーン]] Mk. Iと熱帯地用のスピットファイアへ搭載させた。後のイギリス空軍戦闘機に搭載される標準武装になるが、当初作動不良を頻発したため、スピットファイアでは暫定的に20 mm機関砲2門と7.7 mm機銃4挺のB翼装備で配備され、改善後に4門装備も可能なユニバーサルウィングことC翼が標準となり、[[ホーカー タイフーン|タイフーンMk.IB]]以降、[[ホーカー テンペスト|テンペストMk.V]]でも4門装備であった。
 
HS.404の製造はアメリカ合衆国でも認可された。20 mm機関砲への更新を予定していた[[アメリカ陸軍航空隊]]と[[アメリカ海軍]]では、1941年に弾薬の製造を含む大規模な製造計画が練られ、十分な生産準備ができたのと時を同じくしてHS.404が到着した。しかし、届けられた機関砲は信頼性に乏しく、不発によって弾薬を無駄にしてしまう代物であった。イギリスは自国の生産力の負担を軽減するためにAN-M1の輸入に興味を示したが、AN-M1を受け取ると出来の悪さに失望した。イギリスは主にわずかに短い薬室の違いが問題の原因であると考え、[[1942年]]4月にイギリパノ Mk. II比較のためアメリカに送られた。アメリカでは薬室の修正を断ったものの、他所の修正を行うことで少しでも信頼性を高めようとAN-M2が開発されたが、これも成功とは言い難かった。アメリカ海軍は戦争を通して機関砲で武装の統一を試みていたが、全面的に切り替えられることはなく、対地攻撃任務向けに[[F6F (航空機)|F6F]]や[[F4U (航空機)|F4U]]の一部に搭載されたにすぎなかった。
 
イギリスは生産力ももはや問題ではないレベルまで上向いていたため、アメリカ製の導入をあきらめた。また、砲口初速を犠牲にして重量の軽減と速射性を高め、銃身を短くしたイスパノ Mk. V (Hispano Mark V) にアップグレード、テンペストMk.Vなどに搭載した。アメリカはMk. Vを真似てAN-M3を開発したが、信頼性の問題は続いた。
 
第二次世界大戦後、[[ドイツ]]が開発した[[マウザー MG 213 (機関砲)|マウザー MG 213C]]から発展した[[DEFA 550|DEFA]]、[[ADEN (機関砲)|ADEN]]などの[[リヴォルヴァーカノン]]の搭載機が増加していき、旧式機の引退と共にイスパノ Mk. Vを含むHS.404系機関砲は姿を消した。