「鈴木葉留彦」の版間の差分

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{{Infobox baseball player
|選手名 = 鈴木 葉留彦
|英語表記 =
|所属球団 =
|背番号 =
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[[1973年]]秋、[[プロ野球ドラフト会議|ドラフト]]3位指名で[[埼玉西武ライオンズ|太平洋クラブライオンズ]]に入団。プロ入り後は即戦力と期待されながら一塁のレギュラーには定着できなかったが、主に代打として活躍し、1982年と1983年にはチームのリーグ優勝と日本シリーズ優勝に貢献した。[[1984年]]オフに現役引退。
 
*[[1980年]][[9月28日]]の対[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]戦では、8回裏一死一、三塁の場面で打者・[[野村克也]]の時に、[[根本陸夫]]監督に代打を告げられ登場。鈴木はこの打席で、併殺打を打った。この時、代打起用に落胆した野村は「打つなよ・・・」と念じ、チームメイトの凡退を願ったという。この事が、野村の27年に及ぶ現役生活からの引退に繋がった。
 
引退後は[[テレビ埼玉]]の[[野球解説者]]を経て、西武ライオンズの一軍打撃コーチ([[1988年]]~[[1989年]]・[[2000年]])・二軍打撃コーチ([[1987年]]・[[1990年]]~[[1992年]])・[[埼玉西武ライオンズ (ファーム)|二軍]]監督([[1998年]]~[[1999年]]・[[2001年]]~[[2003年]])・スカウト部長を歴任した。しかし、[[2007年]]3月に発覚したアマチュア選手への「裏金問題」の責任を取る形で、同月辞任。同年[[6月4日]]付でスカウト部と編成部との統合により、編成部部長(アマチュア担当)に就任した。
 
現在は編成部部長を務める傍ら、[[東京都]][[清瀬市]]にあるポニーリーグ「清瀬ポニー」の顧問としても活躍している。
 
== エピソード ==
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2011年6月}}
*[[1980年]][[9月28日]]の対[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]戦では、8回裏一死一、三塁の場面で打者・[[野村克也]]の時に、[[根本陸夫]]監督に代打を告げられ登場。鈴木はこの打席で、併殺打を打った。この時、代打起用に落胆した野村は「打つなよ・・・」と念じ、チームメイトの凡退を願ったという。この事が、野村の27年に及ぶ現役生活からの引退に繋がった。
 
== 詳細情報 ==