「大国主の神話」の版間の差分

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カミムスビが遣わしたキサガイヒメは[[アカガイ|赤貝]]、ウムギヒメは[[ハマグリ|蛤]]であり、赤貝の殻の粉を蛤汁で溶いて火傷に塗布したと考えられている<ref>富士川游「史談-日本医史:大穴牟遲神」『中外医事新報』1915年、835号、p46-47</ref>。これは後の石灰乳(''Linimentum Calcis'')に通じるものがあり、火傷に対し妥当な治療法であったと考えられている<ref>伊沢凡人ら「中国医学の生薬療法と混同されやすいわが国・固有の生薬療法-和法」『保健の科学』2001年、43巻、8号、p595-596</ref>。
 
オオヤビコのいる「木国」(きのくに)については一般には[[紀伊国]]と解され、これを根拠に当時[[出雲国|出雲]]と紀伊の間には交流があったとされている。しかし、根の国([[黄泉]])の入口である黄泉津比良坂は旧出雲国([[島根県]][[八束郡松江市]][[東出雲町]])にあり、一旦、紀伊国まで行くのはおかしいとして、これは単に木の多い所の意味であるとする説もある。
 
大国主の妻問いの説話には五首の歌謡が出て来るが、その内容から、本来は饗宴の席で歌われた歌曲であると考えられる。また、後の時代から使われ出した枕詞が多く入っていることから、成立は比較的新しいものである。