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'''柴田 翔'''(しばた しょう、男性、[[1935年]][[1月19日]] - )は、[[日本]]の[[小説家]]、[[ドイツ文学者]]、東京大学名誉教授。
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妻は作曲家[[三宅榛名]]。娘の[[柴田暦]]は歌手・女優。
 
なお、「されど われらが日々」は学生運動を題材にした小説であるが、後の全共闘運動に対しては、次のように評している。
 
 
                   ◇
 
「ゲバルトが出始めた時には、その意味が十分判っていなかったという気がする。僕がそのとき考えたことは、ゲバルトは国家の暴力装置に対抗するための対抗暴力として出てきたと理解した。僕はたとえ対抗暴力であってもゲバルトには反対だったけど、現象としてはそう理解していた。ところが大学の教師である自分の目の前で学生たちがゲバ棒を振りまわしているのを見ているうちに、そういう側面もあるけれどもそれはいってみればタテマエと判ってきた。そうではなくて、連中はゲバ棒を持ちたいから持っているんだ、ゲバ棒を振り廻すこと自体によろこびを感じているんだという気がした。これは良い悪いの問題以前に、まさに現実としてそうだということが見えてきた。ところが戦後日本近代、戦後民主主義が前提にしていた人間観の中には、それが含まれていなかった。人間は本来理性的動物であって、暴力衝動などは、その人間観の外へ追いやられていた。」(「全共闘―それは何だったのか」現代の理論社:84年刊:148頁)
 
==著作==