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陸軍の歴史的転換点を迎えるにはルネサンス時代まで待たなければならなかった。ルネサンスでは文芸だけでなく軍事も復興され、[[マキアヴェッリ]]は『[[戦術論]]』で古代ローマの軍制を踏まえた常備軍の創設の必要を主張し、体系的な軍事訓練によって部隊が組織的な隊形戦闘を行うことを要求した。このような陸軍の姿をヨーロッパでいち早く再現したのはスイス自由農民により組織された戦闘団であった。彼らは長槍を備えて密集隊形を維持し、各部隊が戦術的に機動するレギオンの教義を実践して見せた。
 
スペイン陸軍はこのような軍事的ルネサンスを背景としながら当時発明されていた火器を組み込み、密集した歩兵隊形を[[火縄銃]]によって掩護する[[テルシオ]]という戦闘教義を確立した。スペイン陸軍がヨーロッパ列強の陸軍に勝利を重ねると、テルシオは広く普及していった。スペイン陸軍に損害を受けた[[オランダ陸軍]]では[[マウリッツ]]が中心にテルシオを研究し、軍事訓練の[[基本教練]]を整備し、野戦砲や竜騎兵の導入、反転行進射撃の考案などの成果を残した。オランダ陸軍のこのような革新を受けて[[スウェーデン陸軍]]はこれを応用しながら発展させた。[[グスタフ・アドルフ]]王は歩兵の小銃射撃、騎兵の抜刀突撃、砲兵の戦闘支援を連携させ、近代陸軍の基礎的な戦闘教義である[[三兵戦術]]を完成させた。この戦闘教義は[[ナポレオン1世]]によって有効性が実証された。ナポレオンは卓越した戦術的な運用によって決定的地点に優勢な戦力を集中させ、敵を撃破するだけでなく徹底的な追撃を実践した。
 
第一次世界大戦では[[機関銃]]が戦闘陣地に備えられたために、装甲を備え付けた[[戦車]]が騎兵に取って代わって突撃を行うようになった。そして第二次世界大戦では航空機と戦車部隊の連携による[[電撃戦]]が成功し、陸軍において戦車は重要な地位を占めるようになった。