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「第二次王子の乱」の版間の差分
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2005年12月16日 (金) 11:58時点における版
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1行目:
'''第二次王子の乱'''(だいにじおうじのらん)は[[1400年]][[1月]]、
[[李氏朝鮮]]の
政治
の
的
実権を握っていた靖安君・李芳遠(
[[李成桂|
太祖
]]
の五男、のちの太宗)が、同腹の兄懐安君・李芳幹(太祖の四男)の反乱を鎮圧し、自らは王世弟となって王位の継承を確立した事件。
事件そのものは、王位継承権をめぐる兄弟間の抗争であったため、政治的影響は少なかったが、この事件の結果、もはや芳遠に対抗できる政治勢力はなくなり、[[李芳遠]]の独裁による一連の王権強化策が実現されて、朝鮮王朝の基盤が固まった。