「伊良部秀輝」の版間の差分

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Jackjack (会話 | 投稿記録)
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{{出典の明記|date=2011年7月}}
{{Infobox baseball player
|選手名 = 伊良部 秀輝
|英語表記 =
|所属球団 =
|背番号 =
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|写真のコメント =
|国籍 = {{JPN}}
|出身地 = {{Flagicon|JPN}}[[兵庫県]][[尼崎市]]([[沖縄県]][[沖縄市]]生まれ)
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1969|5|5|no}}
|没年月日 = [[2011年]][[7月]]下旬(遺体発見日7月27日(米国[[太平洋標準時|太平洋時間]])、満42歳没)
|身長 = 193
|体重 = 108
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|プロ入り年度 = {{NPBドラフト|1987}}
|ドラフト順位 = ドラフト1位
|初出場 = NPB / 1988年5月7日 <br /> MLB / 1997年7月10日
|最終出場 = NPB / 2004年6月11日 <br /> MLB / 2002年7月12日
|経歴 = <nowiki></nowiki>
* [[尽誠学園高等学校]]
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[[沖縄県]][[沖縄市]]生まれの[[兵庫県]][[尼崎市]]育ち。アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる(ただし、両親は伊良部が物心つく前に離婚しており、本人は後年渡米するまで、自分の父親がアメリカ人であることも知らなかったという)<ref>[http://nikkan-spa.jp/36060 伊良部秀輝の“遺言”] 日刊SPA! 2011年7月30日閲覧</ref>。常光寺小学校<ref>[[尼崎市立杭瀬小学校|杭瀬小]]との統合により廃校</ref>、若草中学校を卒業後、[[香川県]]に引っ越し、[[尽誠学園高等学校]]に進学。{{by|1986年}}と{{by|1987年}}の[[全国高等学校野球選手権大会]]に出場。1学年下に在籍した[[佐伯貴弘]]は「([[第69回全国高等学校野球選手権大会|87年夏の甲子園]]出場経験は)伊良部さんに連れて行ってもらったようなもの」とコメントしている。
 
その後、[[1987年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1987年のドラフト会議]]で[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]から1位指名され入団。
 
=== ロッテ時代 ===
1年目から1軍のマウンドを経験。[[村田兆治]]、[[前田幸長]]らとともにチームの弱小投手陣を支えた。入団2年目に[[埼玉西武ライオンズ|西武]]の[[清原和博]]との対戦時に156km/hをマークするなど当時から球速はめっぽう速かったが、コントロールが悪くカウントを悪くしては棒ダマを打たれるなど入団後数年は試練の時が続いた。起用法も先発・リリーフなど一定ではなかった。
 
{{by|1993年}}、[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]の[[大沢啓二]]監督がマスコミ相手に「幕張の浜で伊良部クラゲに刺された、イテテテ…」と言ったことから「'''伊良部クラゲ'''」の異名がつく。同年5月3日、西武・清原との対戦時に158km/hをマーク。以後、清原和博との対決は「平成の名勝負」とうたわれ、安定感も増し、起用法もローテーション投手として固定されるようになった。
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{{by|2004年}}は開幕早々に前年の日本シリーズで露呈したセットポジションでの欠点を衝かれ、登板数は3試合のみ、[[防御率]]は13.11という不調もあって、オフに[[戦力外通告]]を受けた。
 
=== 引退・現役復帰 ===
{{by|2005年}}3月上旬に、現役を引退。[[4月6日]]にこの事実が[[岡田彰布]]監督によって明らかにされた。
{{by|2005年}}3月上旬に、現役を引退。[[4月6日]]にこの事実が[[岡田彰布]]監督によって明らかにされた。現役引退後に再び渡米し、[[グリーンカード]](外国人永久居住権)を取得して実業家に転身。高校時代の友人と共同で、[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]で[[うどん]]の[[フランチャイズ]][[チェーンストア|チェーン]]「SUPER UDON」を開業。当初は人気店だったが、その後閉店した。
 
=== 引退後 ===
現役引退後に再び渡米し、[[グリーンカード]](外国人永久居住権)を取得して実業家に転身。高校時代の友人と共同で、[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]で[[うどん]]の[[フランチャイズ]][[チェーンストア|チェーン]]「SUPER UDON」を開業。当初は人気店だったが、その後閉店した。
 
=== 現役復帰 ===
TVドキュメントによると、引退した要因の一つであった膝の痛みが、かかとを浮かせた投球フォームから地に付けたフォームへと改良することで消えたことから、現役復帰を目指しトレーニングを開始。{{by|2009年}}4月27日、アメリカ[[独立リーグ]]・[[ゴールデンベースボールリーグ]]のロングビーチ・アーマダに入団(月給1,500ドル)。5年ぶりに現役に復帰した。
 
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速球が武器であったが、それに頼っていた投球スタイルは年を重ねると共に変化していった。無骨に見えて理論派である。ロッテ時代のOBであった[[牛島和彦]]も「投球フォームの腕を上げる高さから足を下ろす位置、それによる球の軌道までをミリ単位といえる細やかさで考えているのが伊良部という投手」と語っている。
 
== 年度別投手成績詳細情報 ==
=== 年度別投手成績 ===
{| {{投手成績}}
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1988}}
|rowspan="9" style="text-align:center" rowspan="9center;"|[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]
|14||6||0||0||0||2||5||1||--||.286||162||39.1||30||7||18||0||1||21||1||1||19||17||3.89||1.22
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1989}}
|33||2||0||0||0||0||2||9||--||.000||211||51.0||37||1||27||0||2||50||6||0||20||20||3.53||1.25
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1990}}
|34||11||4||0||0||8||5||0||--||.615||544||123.2||110||6||72||1||7||102||12||2||58||52||3.78||1.47
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1991}}
|24||16||2||0||0||3||8||0||--||.273||471||100.2||110||20||70||0||1||78||10||1||78||77||6.88||1.79
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1992}}
|28||4||0||0||0||0||5||0||--||.000||336||77.0||78||2||37||0||1||55||4||1||38||33||3.86||1.49
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1993}}
|32||14||6||0||0||8||7||1||--||.533||592||142.1||125||11||58||0||6||160||6||1||59||49||3.10||1.29
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1994}}
|27||26||'''16'''||1||0||'''15'''||10||0||--||.600||'''870'''||'''207.1'''||170||16||'''94'''||2||6||'''239'''||13||2||77||70||3.04||1.27
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1995}}
|28||27||9||2||2||11||11||0||--||.500||835||203.0||156||9||72||1||9||'''239'''||11||1||70||57||'''2.53'''||1.12
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1996}}
|23||23||3||0||0||12||6||0||--||.667||639||157.1||108||7||59||0||3||167||7||4||56||42||'''2.40'''||1.06
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1997}}
|rowspan="3" style="text-align:center" rowspan="3center;"|[[ニューヨーク・ヤンキース|NYY]]
|13||9||0||0||0||5||4||0||--||.556||246||53.1||69||15||20||0||1||56||4||3||47||42||7.09||1.67
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1998}}
|29||28||2||1||0||13||9||0||--||.591||732||173.0||148||27||76||1||9||126||6||1||78||78||4.06||1.29
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1999}}
|32||27||2||1||0||11||7||0||0||.611||733||169.1||180||26||46||0||6||133||7||0||98||91||4.84||1.33
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2000}}
|rowspan="2" style="text-align:center" rowspan="2center;"|[[ワシントン・ナショナルズ|MON]]
|11||11||0||0||0||2||5||0||0||.286||247||54.2||77||9||14||0||1||42||5||2||45||44||7.24||1.66
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2001}}
|3||3||0||0||0||0||2||0||0||.000||74||16.2||22||3||3||0||0||18||0||0||9||9||4.86||1.50
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2002}}
|style="text-align: center;"|[[テキサス・レンジャーズ|TEX]]
|38||2||0||0||0||3||8||16||2||.273||204||47.0||51||11||16||2||1||30||3||0||30||30||5.74||1.43
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2003}}
|rowspan="2" style="text-align:center" rowspan="2center;"|[[阪神タイガース|阪神]]
|27||27||3||0||0||13||8||0||--||.619||730||173.0||186||24||47||0||6||164||4||0||77||74||3.85||1.35
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2004}}
|3||3||0||0||0||0||2||0||--||.000||62||11.2||26||5||4||0||1||7||0||1||19||17||13.11||2.57
|-
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* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
 
=== 背番号 ===
* '''18''' (1988年 - 1996年)
* '''41''' (2003年 - 2004年)
* '''14''' (2009年途中)
 
=== タイトル・表彰 ===
; NPB
* [[最多勝利|最多勝利投手]]:1回(1994年)
* [[最多奪三振]]:2回(1994年、1995年)
* [[最優秀防御率]]:2回(1995年、1996年)
* [[ベストナイン_ (日本プロ野球)|ベストナイン]]:2回(1994年、1995年)
* パシフィック・リーグ[[月間MVP_MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]:4回
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|NPBオールスターゲーム]]出場:4回(1994年 - 1996年、2003年)
 
; MLB
* アメリカン・リーグ[[プレイヤー・オブ・ザ・マンス]]:2回(1998年5月、1999年7月)
 
=== 引退後記録 ===
; NPB
* 初登板・初先発:1988年5月7日、対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]5回戦([[川崎球場]])
* 初勝利:1988年8月14日、対[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]13回戦(川崎球場)
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|NPBオールスターゲーム]]:4回(1994年 - 1996年、2003年)
 
== 著書 ==
* 『最新最強のピッチング・メカニクス』([[吉井理人]]と共著、[[永岡書店]]:2010年7月)
 
== 脚注 ==