「山北茂利」の版間の差分

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{{Infobox baseball player
|選手名 = 山北 茂利
|英語表記 =
|所属球団 =
|背番号 =
|選手写真ファイル名 =
|写真サイズ =
|写真のコメント =
|国籍 = {{JPN}}
|出身地 = [[岐阜県]][[多治見市]]
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1978|1|6}}
|ドラフト順位 = ドラフト3位
|初出場 = 2000年3月31日
|最終出場 = 200920088月31日
|経歴 = <nowiki></nowiki>
* [[中京高等学校|中京商業高等学校]]
* [[トヨタ自動車硬式野球部|トヨタ自動車]]
* [[中日ドラゴンズ]] (2000 - 2004)
* [[千葉ロッテマリーンズ]] (2005 - 2006)
* [[横浜ベイスターズ]] (2006 - 2009)
|選出国 =
|選出年 =
'''山北 茂利'''(やまきた しげとし、[[1978年]][[1月6日]] - )は、[[岐阜県]][[多治見市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。
 
== ・人物 ==
[[中京高等学校|中京商業高等学校]]を経て[[社会人野球]]の[[トヨタ自動車硬式野球部|トヨタ自動車]]へ入部。{{by|1999年}}の[[第70回都市対抗野球大会|都市対抗]]で[[三菱重工名古屋硬式野球部|三菱重工名古屋]]補強選手に選ばれる。同年[[1999年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]で[[中日ドラゴンズ]]から3位指名を受けて入団。同期に[[朝倉健太]]がいる。
===プロ入り前===
[[中京高等学校|中京商業高等学校]]を経て[[社会人野球]]の[[トヨタ自動車硬式野球部|トヨタ自動車]]へ入部。{{by|1999年}}の[[都市対抗野球大会|都市対抗野球]]で補強選手に選ばれる。同年、[[1999年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]で[[中日ドラゴンズ]]から3位指名を受けて入団。同期に[[朝倉健太]]がいる。
 
{{by|2002年}}に57試合に登板し1勝4敗、[[防御率]]4.13の成績を残す。その年のオフに開催された[[第15回[[IBAFインターコンチネンタルカップ]]では、日本代表]]に選出される。{{by|2003年}}も57試合に登板し3勝0敗、防御率3.25と昨年よりも成績を向上させた。しかし{{by|2004年}}は故障の影響で一軍登板は7試合にとどまる。オフに[[清水将海]](現[[福岡ソフトバンクホークス]])との交換[[トレード]]で[[千葉ロッテマリーンズ]]に移籍。ロッテではわずか8試合の登板に留まり、{{by|2006年}}[[4月27日]]に[[土居龍太郎|龍太郎]]、[[南竜介]]との2対1の交換トレードで左腕不足に悩まされていた[[横浜ベイスターズ]]に移籍。
===中日時代===
{{by|2002年}}に57試合に登板し1勝4敗、[[防御率]]4.13の成績を残す。その年のオフに開催された第15回[[IBAFインターコンチネンタルカップ]]では、日本代表に選出される。{{by|2003年}}も57試合に登板し3勝0敗、防御率3.25と昨年よりも成績を向上させた。しかし{{by|2004年}}は故障の影響で一軍登板は7試合にとどまる。オフに[[清水将海]](現[[福岡ソフトバンクホークス]])との交換[[トレード]]で[[千葉ロッテマリーンズ]]に移籍。
 
同年8月24日の対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦では自身3年ぶり、移籍後初となる勝利を挙げた。横浜では主に左の[[リリーフ#ワンポイントリリーフ|ワンポイントリリーフ]]として起用され、ロッテ時代よりも登板数は増えたが、目立った成績は残せず、一軍登板が無かった[[2009年]]に[[戦力外通告]]を受けた。その後[[12球団合同トライアウト]]に参加。台湾の[[興農ブルズ]]からオファーがあったが受けずに現役を引退。2010年6月から神奈川県内のスポーツ用品店に勤務、野球コーナーを担当している<ref>[http://www.townnews.co.jp/0108/2010/08/05/62366.html サクラス戸塚のスポーツ用品店に就職した元横浜ベイスターズ投手]</ref>
===ロッテ・横浜時代===
ロッテではわずか8試合の登板に留まり、{{by|2006年}}[[4月27日]]に[[土居龍太郎|龍太郎]]、[[南竜介]]との2対1の交換トレードで左腕不足に悩まされていた[[横浜ベイスターズ]]に移籍。
 
同年8月24日の対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦では自身3年ぶり、移籍後初となる勝利を挙げた。横浜では主に左の[[リリーフ#ワンポイントリリーフ|ワンポイントリリーフ]]として起用され、ロッテ時代よりも登板数は増えたが、目立った成績は残せず、一軍登板が無かった[[2009年]]に[[戦力外通告]]を受けた。[[12球団合同トライアウト]]に参加。台湾の[[興農ブルズ]]からオファーがあったが受けずに現役を引退。
 
===引退後===
2010年6月から神奈川県内のスポーツ用品店に勤務、野球コーナーを担当している<ref>[http://www.townnews.co.jp/0108/2010/08/05/62366.html サクラス戸塚のスポーツ用品店に就職した元横浜ベイスターズ投手]</ref>。
 
== プレースタイル ==
190cm191cmの長身から[[サイドスロー]]気味の[[スリークォーター]]で投げおろすスタイルで、[[マスメディア|マスコミ]]や選手名鑑等では「和製[[ランディ・ジョンソン]]」と称された。ストレートの球速は、140km/h台前半から中盤を出す程度だがそれ以上に威力があり、[[スライダー (球種)|スライダー]]・[[シュート (球種)|シュート]]と組み合わせ左右に揺さぶる投球をする持ち味とした。反面、制球面では課題が多かった
 
== 人物 ==
愛称は「[[アフロディーテ]]」「[[ランディ・ジョンソン|ランディー]]」など。目標とするのは同じ長身左腕である[[ランディ・ジョンソン]]。その為、[[マスメディア|マスコミ]]や、選手名鑑等では「和製ジョンソン」と称される。
 
トライアウト受験後、チームメイトであった[[岡本直也]]と共に台湾の[[興農ブルズ]]から獲得の意思を表明されていたが、結局入団には至らなかった。その後、一部報道で[[フィラデルフィア・フィリーズ]]と岡本と共にマイナー契約で合意したと報じられたが、フィリーズの関係者はこれを否定するということがあった。また、興農側が山北の獲得を決めた理由の1つが『イケメンで喋り方もハキハキしている好青年だから』ということであった。
 
== 詳細情報 ==
|208||0||0||0||0||5||6||0||6||.455||863||194.1||215||20||77||7||17||153||12||1||122||108||5.66||1.50
|}
 
=== 人物記録 ===
* 初登板:2000年3月31日、対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]1回戦([[ナゴヤドーム]])
* 初勝利:2002年8月18日、対[[読売ジャイアンツ]]23回戦(ナゴヤドーム)
 
=== 背番号 ===
* [[千葉ロッテマリーンズの選手一覧]]
* [[横浜ベイスターズの選手一覧]]
* [[第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表]]
 
{{中日ドラゴンズ1999年ドラフト指名選手}}
1,739

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