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旧[[児湯郡]]'''美々津町'''。[[1955年]](昭和30)[[日向市]]に編入。[[耳川]](美々津川)右岸から石並川流域を占め、西部は尾鈴火成岩の山地、沿岸部は[[宮崎平野]]の北縁をなす。
耳川[[河口]]の'''美々津港'''は[[江戸時代]]は[[高鍋藩]]の[[上方]][[交易港]]、[[明治]]・[[大正]]時代は入郷地帯を後背圏とする物資の移出入港となり'''美々津'''はその[[港町]]として栄えた。
当時の建物、敷地割が残り、瀬戸内船運の西端にあたり、上方風の商家、操船・水運業者の家、漁家が連なり、[[国の<!「文化庁]]」は適当な表現でない-->[[重要伝統的建造物群保存地区]]として選定される。
 
== 歴史 ==
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[[画像:Rinia_jikken_in_miyazaki.jpg|thumb|250px|宮崎の[[リニア実験線#宮崎実験線|リニア実験線]]]]
古くから港としてにぎわいをみせ、[[室町時代]]には[[日明貿易]]港としても発展していたことが知られ、[[江戸時代]]中期の[[1740年]]([[元文]]5年)には[[洪武通宝]]([[洪武帝]]の時代に中国で作られた[[銭貨]])240枚が掘り出されたとの記録がある。<ref>『角川日本地名大辞典 45 宮崎県』 昭和61年10月 角川書店 ISBN 4-04-001450-2</ref>
=== 戦国・安土桃山・江戸時代時代 ===
* [[耳川の戦い]]中に、[[大友義鎮|大友宗麟]]軍によって神社仏閣が全て焼かれる。
* [[江戸時代]]には[[高鍋藩]]の商業港となり、内陸から耳川で運ばれた[[木材]]などの積換え港として栄えた。
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* [[1979年]](昭和54年)リニア走行実験で時速517km、磁気浮上式鉄道の世界新記録を達成。
* [[1982年]](昭和57年)リニア走行実験で世界初の有人走行実験に成功する。
* [[1986年]](昭和61年)国の[[重要伝統的建造物群保存地区]]として選定される。
* [[1996年]](平成8年)新実験線を[[山梨県]]に建設されることになり、宮崎実験線でのリニア走行試験は終了する。
* [[1998年]](平成10年)宮崎実験線で[[東北大学]]の研究グループによる[[エアロトレイン]]の走行試験を始める。
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神武天皇はこの日の昼に出航の予定だったが、風向きが変わったため早朝に繰り上げ、「起きよ、起きよ」と家々を起こして回った。このことから、旧暦8月1日には[[起きよ祭り]]が開かれる。時間がなかったので着物のほつれに気づいても直す暇がなく、立ったまま縫わせた。そのためこの地を「立縫いの里」と呼ぶ。住人たちは出航に合わせて[[餅]]を作る予定をしていたが、急遽、[[小豆]]と[[餅米]]を一緒について渡した。これを「お船出団子」と言い、今に至るまで美々津の[[名物]]となっている。
 
[[立磐神社]]には、「神武天皇御腰懸磐」がある。神武天皇が出航の際にこの[[岩]]に腰掛け指揮したとされ、社名の「立磐」もこれに由来し、する。神武天皇と航海神の[[住吉三神]]を祭神とする。
 
=== 紀元2600年記念 ===
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'''種別''':港町
 
'''選定年月日''':[[1986年]][[12月8日]](昭和61年12月8日)
 
'''選定基準''':伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示している