「リュー・エアーズ」の版間の差分

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[[ミネソタ州]][[ミネアポリス]]出身。[[アリゾナ大学]](専攻は薬学)卒業。
 
[[バンジョー]]、[[ギター]]、[[ピアノ]]など一通り弾けたことからヘンリー・ハルステッド楽団に入る。つづいてレイ・ウェスト楽団に移り、ココナッツ・グループへ出演中をパテ社幹部のポール・バーンに認められ、6ヶ月の契約を結ぶ。[[1929年]]に映画デビュー、翌年[[ユニヴァーサル]]社に移籍し、[[1930年]]の反戦映画『[[西部戦線異状なし]]』の蝶を追いかけて銃弾に倒れる兵士役でセンセーショナルをまき起こすも、[[キャリア]]不足のためにスターとはならなかった。[[1935年]]にフォックス社と契約、B級映画で活躍をする。[[1938年]]に[[メトロ・ゴールドウィン・メイヤー]]社に移って「ドクター・キルデア」シリーズに出演、好評を博した。
 
[[第2次世界大戦]]勃発と同時に、『西部戦線異状なし』に出演した経緯から良心的参戦拒否を宣言し、さらには映画出演も拒んで、直接の戦闘を避ける看護兵に志願する。しかし、当時の世相ではエアーズの行為は許されず、興行主も主演映画をボイコットし、ファンも彼のことを見放した。