「PWFヘビー級王座」の版間の差分

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これを受け、全日本プロレスでは力道山ベルトを「世界ヘビー級選手権」のベルトとして使用することを決め、その王座争奪戦を開催した。
 
この新設王座争奪戦は、ジャイアント馬場と[[ブルーノ・サンマルチノ]]、[[テリー・ファンク]]、[[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]、[[ザ・デストロイヤー]]、[[ウイルバー・スナイダー]]、[[ドン・レオ・ジョナサン]]、[[パット・オコーナー]]、[[ボボ・ブラジル]]の8選手による勝ち抜き[[番勝負|十番勝負]]という形で行われ、馬場が8勝2引分けという成績を収め(最初の対戦で引き分けたサンマルチノ、スナイダーには再戦で勝利)、初代世界ヘビー級選手権者となる。この直後、[[ハワイ州]][[ホノルル]]を本部とする[[PWF]](Pacific Wrestlimg Federation)設立が発表され、初代会長には馬場と旧知の仲であったハワイのプロモーターの[[ロード・ブレアース|ロード・ジェームス・ブレアース]]が就任した。
 
そして、世界ヘビー級王座をPWF認定世界ヘビー級王座と改め、馬場をその初代王者に認定した。これがPWFヘビー級王座の始まりである。途中[[1974年]]に、[[NWA (プロレス)|NWA]]の勧告により「世界」の文字を外してPWFヘビー級王座となった(NWAは傘下の各団体に「[[NWA世界ヘビー級王座]]以外の世界王座を作ったり認定したりしないこと」を求めているため)。
 
初代王者の馬場は[[ザ・シーク]]、ブッチャー、オコーナー、[[ドリー・ファンク・ジュニア]]、[[ハーリー・レイス]]、[[フリッツ・フォン・エリック]]、[[ジン・キニスキー]]、[[ペドロ・モラレス]]、[[ビル・ロビンソン]]、[[プロフェッサー・タナカ]]、[[ディック・マードック]]、[[ブラックジャック・マリガン]]、[[クリス・マルコフ]]、[[ウィリアム・アフィルス|ディック・ザ・ブルーザー]]、[[プロフェクス・ベーカー]]、[[ワフー・マクダニエル]]、[[キラー・タナール・コックス]]、[[ケン・パテラ]]などの強豪を退けて38回連続防衛(これは今でも日本プロレス史上の最多連続防衛記録である)を果たしたほか、[[ジャック・ブリスコ]](NWA)、ブルーノ・サンマルチノ([[WWE|WWWF]])、[[大木金太郎]]([[アジアヘビー級王座|アジア]])の各王者との[[ダブルタイトルマッチ]]も行った。
 
1978年6月に[[キラー・トーア・カマタ]]との防衛戦で、カマタの[[反則行為#プロレス|反則]]に怒った馬場が反則でやり返して大暴走、反則負けで王座転落。それまでアメリカでも日本でも「反則やリングアウトでは王座は移動しない」となっていたのを馬場が「反則負けでも負けは負け」と反則・リングアウトでの王座移動を認めるようにしていたのだが、それが裏目に出た形となった。カマタは初防衛戦でロビンソンに敗れ、ロビンソンからブッチャーへ王座は移動、1979年2月に馬場は[[シカゴ]]で王座奪回に成功する。
 
第5代王者時代の馬場は、防衛戦のペースこそ低下したもののブッチャー、[[ブルーザー・ブロディ]]、カマタ、ロビンソン、[[タイガー・ジェット・シン]]、[[テリー・ゴディ]]らの強豪を相手に3年8ヶ月の間防衛を続けた。この間、[[1981年]]1月には馬場のデビュー以来3000試合無欠場記録記念試合として[[バーン・ガニア]]の[[AWA世界ヘビー級王座]]とのダブルタイトルマッチが行われ、1982年2月には[[新日本プロレス]]から引き抜いた[[スタン・ハンセン]]とのシングル初対決がPWF選手権試合として実現している(2試合とも[[東京スポーツ]][[プロレス大賞]]の「年間最高試合賞」を受賞)。また、[[アトランタ]]、[[ミネアポリス]]、[[グリーンズボロ (ノースカロライナ州)|グリーンズボロ]]([[バロン・フォン・ラシク]])、[[ミネアポリス]]([[サージェント・スローター|スーパー・デストロイヤー・マークII]])、[[アトランタ]](テリー・ゴディ)、[[ダラス]]([[キングコング・バンディ]])など米国アメリカ各地で防衛戦が行われたのも馬場王者時代の大きな特徴である。
 
1982年10月に馬場はレイスに敗れて王座転落するも[[1983年]]2月[[セントルイス]]で奪還。しかし9月にはハンセンに敗れまたも王座から転落する。この頃からはレイス→馬場→ハンセン→馬場→ハンセン→[[長州力]]→ハンセン→[[天龍源一郎]]→ハンセン、と、1年前後の在位の王者が続くことになる。1989年4月18日、PWF・UN王者のハンセンがインター王者の[[ジャンボ鶴田]]と統一戦を戦い、勝った鶴田が[[三冠ヘビー級王座|三冠統一ヘビー級王者]]となる。