「オスマン帝国」の版間の差分

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1517年、セリム1世によって征服されたエジプトは次代[[スレイマン1世]]の時にムスタファ・パシャがその州総督となったが、その配下となるカーシフ(地方総督)の大部分がマムルーク朝で軍人を務めた人物が就任していた。そのため、1523年にはマムルーク朝系のカーシフが反乱を起こし、さらに1524年には新たな州総督に就任していたアフメト・パシャが反乱を起こした。この反乱でアフメト・パシャはローマ教皇にまで援助を求めたが結局、アフメト・パシャはオスマン帝国の鎮圧軍が到着する以前に内部対立で殺害された<ref>[[#佐藤(西アジア史アラブ)|佐藤(2002)‎、pp.329-330]].</ref>。
 
この反乱を受けたスレイマン1世は[[大宰相]][[イブラヒム・パシャ (大宰相)]]を送り込んで支配体制の強化を図り、さらに次を受けて州総督に就任したスレイマン・パシャはタフリール(徴税敢行、税目、人口などの調査)を実施して徴税面を強化した。さらにスレイマン・パシャは商業施設などを建設してワクフを設定、以後の総督らも積極的な建設活動や宗教的寄進を行い、マムルーク朝色の濃いままであった状況をオスマン帝国色に塗りなおした<ref>[[#佐藤(西アジア史アラブ)|佐藤(2002)‎、p.330]].</ref>。
 
==== シリア ====