「スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Cat+1
Dr jimmy (会話 | 投稿記録)
3行目:
 
== 概要 ==
[[1923年]]にモスクワ音楽院に入学、セミョーン・コゾルポフにチェロを師事する。[[1929年]]、音楽院卒業と同時に[[ボリショイ劇場管弦楽団]]の首席奏者となり[[1943年]]まで務める。この間、[[1933年]]の全ソ音楽コンクールで優勝し、ソリスト及び室内楽奏者としても活躍し始めた。[[1943年]]<ref>[[1940年]]または[[1941年]]とする資料もある。</ref>には[[ヴァイオリニスト]]の[[ダヴィッド・オイストラフ]]、[[ピアニスト]]の[[レフ・オボーリン]]と三重奏団「オイストラフ・トリオ」を結成、自身の死まで継続して活動を行い好評を博した<ref>録音は[[1958年]][[ロンドン]]で収録された[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の『[[三重協奏曲 (ベートーヴェン)|三重協奏曲]]』、『[[ピアノ三重奏曲第7番 (ベートーヴェン)|大公トリオ]]』、[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]の『[[ピアノ三重奏曲第1番 (シューベルト)|ピアノ三重奏曲第1番]]』などが有名([[EMI]]録音)</ref>。
 
同時代に活躍したソ連の作曲家、[[ニコライ・ミャスコフスキー|ミャスコフスキー]]、[[アラム・ハチャトゥリアン|ハチャトゥリアン]]、[[レインゴリト・グリエール|グリエール]]、[[セルゲイ・ワシレンコ|ワシレンコ]]から[[チェロ協奏曲]]を献呈されレパートリーの拡大に寄与している。また、[[1956年]]に復元された[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]の『[[ロココの主題による変奏曲]]』[[原典版]]の初演も行っている。