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[[ロシア内戦]]時は、極東で戦う。1926年から狙撃小隊長。1929年から狙撃中隊政治委員。[[中ソ紛争]]時、戦死した中隊長に代わり部隊の指揮を取った。アカデミー卒業後、極東の狙撃師団参謀長補、作戦班長。1939年3月から狙撃軍団参謀部作戦課長、6月から参謀長。1941年1月~6月、[[極東軍管区|極東戦線]]参謀部の戦闘訓練課長。
 
[[独ソ戦]]時、1941年7月から第78狙撃師団長となり、同年10月に西部戦線に到着した。[[モスクワの戦い]]での戦功により、同年11月、師団は第9親衛師団に改編された。1942年、同師団は北ドネツの南西戦線で戦った。1942年10月から第5親衛狙撃軍団長となり、カリーニン戦線の[[ヴェリーキエ・ルーキの戦い|ヴェリーキエ・ルーキー作戦]]に参加。1943年8月から第2親衛狙撃軍団長となり、[[ドゥホフシチナ]]と[[ヴィテブスク]]北方で作戦を行った。
 
1944年5月から第1沿バルト戦線の第43軍司令官となり、ヴィテブスク・オルシャ作戦においてドヴィナ川を渡河し、隣の第39軍と共にドイツ軍5個師団を包囲・撃滅した。この功績に対して、ソ連邦英雄の称号が授与された。1945年、第43軍は第3白ロシア戦線の指揮下に入り、[[インステルブルク]]、[[ケーニヒスベルク (プロイセン)|ケーニヒスベルク]]、ザムラント作戦に参加した。ケーニヒスベルク奪取に対して、2つ目のソ連邦英雄称号が授与された。
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