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'''鎌田 三之助'''(かまだ さんのすけ、[[1863年]]([[文久]]3年)1月13日 - [[1950年]](昭和25年)[[5月3日]])は、[[日本]]の[[政治家]]。[[衆議院議員]]、[[宮城県]][[鹿島台町|鹿島台村]](現在の[[大崎市]])村長。[[品井沼]][[干拓]]事業に打ち込み「'''わらじ村長'''」の名で知られた。
 
== 経歴 ==
1863年(文久3年)[[陸奥国]][[志田郡]]木間塚村竹谷(現在の宮城県大崎市)に鎌田三治の次男として生まれる。生家の鎌田家は、[[仙台藩]]士の流れを汲む家で[[鳴瀬川]]に沿った大地主の家柄であり、祖父玄光、父三治とも地元の治水事業に生涯を傾けた。[[1878年]](明治11年)政治家を志し上京し、[[漢学]]塾や[[明治法律学校]]で学ぶ。郷里に戻り[[農業]]に従事しながら木間塚に青年教育の場として大成館を設立し夜学で教える。
 
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[[1909年]](明治42年)鹿島台村長に就任し、10期38年に及び村長職にあって品井沼干拓事業に尽力した。村長としては、村財政の建て直しにも努力し、村長在任中、無報酬([[旅費]]を含む)を一貫して通した。粗末な身なりで[[草鞋|わらじ]]を履いて村内を巡回したため、村民から「'''わらじ村長'''」と呼ばれ親しまれた。戦後の[[1946年]](昭和21年)[[公職追放]]となり、村長を辞任する。
 
1950年(昭和25年)5月3日死去。87歳。大崎市鹿島台町には、鎌田の事跡を記念して、鎌田記念ホールが建設され、ホール内には記念展示室が設けられている。
 
== 関連記事項目 ==
* [[鹿島台町]]
* [[吉田川 (宮城県)]]