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旧上溝町の時代には高座郡北部の中心として[[相模原警察署|警察署]]をはじめとする行政機関が置かれ、相模原町発足後は合併直後の短期間を除いて旧上溝町役場が相模原町役場とされたが、1954年(昭和29年)の市制施行直前に町役場(現・[[相模原市役所]])が現在地に移転したのを代表に、それら行政機関の多くが相次いで台地上段の[[相模原市#軍都計画|軍都計画]]による[[区画整理]]が行われた新市街地に移転した。こうして行政中心としての機能を失った後も上溝旧市街は市内の商業中心地としての機能を保ち続けたが、1960年代に台地上段の新市街地に宅地化の波が押し寄せ、特に横浜線相模原駅前の[[相模原]]地区や市役所周辺の中央・富士見地区が市内の[[中心業務地区]]として成長するにつれて商業面での上溝旧市街の地位も低下した。1970年代以降は主に上溝・田名地区(現中央区西部)を[[商圏]]とする地域内の商業地として機能している。
台地上段より遅れて1970年代以降に波及した宅地化により北半部はほぼ市街地化し、現在広い面積の農地が残されているのは南部の番田駅周辺の区域である。明治から昭和初期にかけて[[養蚕]]が盛んであった時期にはほとんどの農地が[[桑]]畑として利用されていたが、[[第2次世界大戦]]後に一旦復活した養蚕が1960年代以降に衰退すると、代わって[[近郊農業]]地域として[[野菜]]の生産が盛んに行われている。周辺地域で[[高座豚]]のブランドで知られる[[養豚]]が盛んになったことを背景に上溝には明治末期に[[屠畜場]]が開設され、[[1960年]](昭和35年)に株式会社相模原と畜場
1960年代以降、国道129号(上溝バイパス)をはさんで隣接する田名地区には大規模工場を中心とする[[工業団地]]の建設が行われたが、当区域には大規模工場の進出はなく前述のJA全農ミートフーズ神奈川工場のほかに中小・零細規模の工場が散在する。
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== 施設 ==
; [[行政
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* 相模原消防署上溝分署
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