「軍事学」の版間の差分

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=== 近代戦争科学の成熟 ===
近代に[[国民国家]]体制が出現し、また軍事技術の革新がもたらされると戦争の様相はさらに変化を見せるようになった。プロイセン軍の軍人で『[[高級指揮官に与える教令]]』の作者[[ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ|モルトケ]]や『[[カンネー]]』の著者[[シュリーフェン]]は統一的な指揮統制や兵站システム、作戦理論を整備して殲滅戦争の可能性を示した。このようなプロイセン軍に普仏戦争で敗北したフランス軍では[[シャルル・アルダン・ドゥ・ピッグ]]が『[[戦闘の研究]]』で火力や人員などの物質的要素だけでなく兵士の錬度や士気の重要性を見直し、また同一の問題が帝国主義を背景とした植民地戦争を戦っていた[[トマス・ロベール・ブジョー]]や[[フェルディナン・フォッシュ]]などによっても認識されるようになる。アメリカでは[[南北戦争]]でジョミニの影響を受けた[[デニス・ハート・マハン]]が戦争科学を確立し、さらに[[アルフレッド・セイヤー・マハン]]によって海軍戦略についての体系的な研究が行われるようになっていた。マハンは『[[海上権力史論]]』で[[シーパワー]]の概念を示して海軍だけでなく海運や植民地などを含む国力の総合発揮の重要性を説き、また[[制海権]]の考え方から艦隊決戦の意義を重視していた。一方でイギリスの軍事学者[[ジュリアン・コベット]]は『[[海洋戦略の諸原則]]』の中で[[水陸両用作戦]]の重要性に着目して海軍戦略とは異なる海洋戦略の確立に努めた。また経済的側面から[[イヴァン・ブロッホ (銀行家)|イヴァン・ブロッホ]]はヨーロッパで大規模な戦争を予見する『将来の戦争』を執筆し、総動員体制に基づく長期的かつ大規模な被害をもたらす戦争の可能性を論じている。
 
[[第一次世界大戦]]と[[第二次世界大戦]]はそれまで考えられていた殲滅戦争の教義と艦隊決戦の海軍戦略、そして経済動員を総合し、国家の国力を全て投入して遂行される[[総力戦]]の様相を呈するものであった。戦線が膠着した結果、戦車や航空機など新しい軍事技術が開発され、また戦略や戦術を再び再構築された。航空機の導入に関連すれば、イタリアの[[ジュリオ・ドゥーエ|ドゥーエ]]は論文『[[制空]]』を発表して[[エアパワー]]の意義と[[戦略爆撃]]の有効性を主張した。同様の戦略思想を示したアメリカの研究者に[[ウィリアム・ミッチェル]]がいる。航空機の運用は艦隊決戦を重視する海軍戦略にも影響し、第二次世界大戦では[[航空母艦]]が海上作戦で航空打撃戦を担うようになっている。戦車の導入に関すればイギリスの[[ジョン・フレデリック・チャールズ・フラー]]は『[[機甲戦]]』や『[[戦争科学の基礎]]』で機甲戦理論を確立しただけでなく、戦争の原則を基礎付けなおした。[[第二次世界大戦]]において『[[電撃戦]]』の著者[[ハインツ・グデーリアン]]によって参考とされ[[電撃戦]]の実践へ結びつく。また世界大戦の時期からは研究で数学的モデリングの手法が活用されるようになり、ランチェスターやオシポフ、リチャードソンの方程式に始まり、アメリカの軍部では科学者を動員して[[オペレーションズ・リサーチ]]についての組織的な研究が開始された。
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