「ゲラルド・ファン・スウィーテン」の版間の差分

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迷信との戦いにおいて、マリア・テレサの命令によって吸血鬼伝説の調査を命じられ、報告書を書き、[[ブラム・ストーカー]]の小説『[[ドラキュラ]]』の吸血鬼ハンターVan Helsingのモデルに凝されることもある。1718年のオスマントルコとの最後の戦いの後、オーストリア領となった北セルビアやボスニアに入植した農民の間に1730年頃ころまで吸血鬼伝説が広まった。1755年に現地に派遣され、吸血鬼伝説が無知からくる迷信であり根絶されねばならないものであると結論した。Abhandlung des Daseyns der Gespensterで吸血鬼伝説を生んだ自然現象を発酵現象や酸素不足で説明した。1749年にイギリスの[[王立協会]]の会員に選ばれ、1751年に[[スウェーデン王立科学アカデミー]]の外国人会員に選ばれた。
 
息子の[[:en:Gottfried van Swieten|ゴットフリート・ファン・スウィーテン]]は役人となり、ハイドンや[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]ら作曲者のパトロンとして知られる。
 
==著書==