「ブランデンブルクの奇跡」の版間の差分

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[[8月22日]]、サルティコフとオーストリア軍の最高指揮官[[レオポルト・フォン・ダウン]]は[[グーベン]]で会見をもち、[[グーベン協定]]を結んだ。その内容は、両国が単独[[講和]]しないことを再確認するとともに、ロシアは[[東プロイセン]]を得、オーストリアは[[シレジア|シュレージェン]]を回復することを互いに承認して、オーストリア軍のシュレージェン攻略を優先してベルリン攻撃はしないというものであった。これは、ロシアが[[勢力均衡]]の考えからプロイセンの滅亡を望まず、オーストリアはオーストリアで、ロシアがもし大王と交渉して東プロイセンの割譲を得るようなことがあったら、すぐにでも同盟を破棄してしまうだろうと考えていたことから導かれたものであった。しかし、このようなことはプロイセンと大王に立ち直りの時間を与えたようなものであった。
 
シュレージェンのダウン軍はルティコフ軍の南下に合わせて北上し、妨害するプロイセン軍を排除してシュレージェン占領に着手する計画であった。しかしハインリヒ軍がダウンをよく阻止したこともあって、ダウン軍は方針を変えて[[ザクセン公国|ザクセン]]に転進してしまった。サルティコフはダウンの協定違反に怒り、もしくはそれを口実にしてシュレージェン進出を中止、[[ポーランド・リトアニア共和国|ポーランド]]へ引き返した。大王は再編成した軍を指揮して南下するロシア軍の後を追うつもりだったが、ロシア軍のポーランドへの撤退を知ってこれを中止した。[[ブランデンブルク州|ブランデンブルク]]もシュレージェンも一息つくことができたが、しかし今度はザクセンが危機に陥ったため、大王は救援のためザクセンに向かった。
 
== もうひとつの奇跡 ==