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=== 開発 ===
核兵器の実現可能性を調べる研究はアメリカとイギリスによって[[1939年]]には開始されていたが、実際の開発が本格的に始まったのは、[[1942年]]に研究がアメリカ陸軍の権限の下に委譲されて[[マンハッタン計画]]となってからのことだった。[[マンハッタン計画]]の目的は核兵器の内部で起こる[[核分裂反応|核分裂]][[連鎖反応 (核分裂)|連鎖反応]]の源となる[[核分裂性物質]]を開発することと、核兵器自の設計であった。この計画は[[ニューメキシコ州]]の[[ロスアラモス国立研究所|ロスアラモス研究所]]で最高機密として進められた <ref name = Bet91>[[ハンス・ベーテ|Hans Bethe]] (1991), ''The Road from Los Alamos''. American Institute of Physics ISBN 0-671-74012-1</ref>。
 
[[ファイル:Fission bomb assembly methods.svg|thumb|250px|マンハッタン計画で研究された2つのタイプの[[原子爆弾]]の動作原理。爆縮型(図下)は複雑な動作を要するため、実戦での使用の前に試験を行なう必要があると考えられた。]]
ウラン235の生産は当時の技術では非常に困難であることが明らかになったが、プルトニウムは専用に作られた[[原子炉]]の副産物として得られるために生産は比較的容易だった。このような原子炉は[[1942年]]になってようやく[[エンリコ・フェルミ]]によって開発された。しかしこのような原子炉で作られる「原子炉級」プルトニウムは、[[サイクロトロン]]で作られるプルトニウムに比べて純度がかなり低いものだった。原子炉級プルトニウムにこうした別のプルトニウム[[同位体]]が含まれているということは、単純なガンタイプの爆弾ではうまく作動しないことを意味する。すなわちこれらの同位体が放出する余計な[[中性子]]によって爆弾が早期爆発(pre-detonate)してしまい、出力が大きく損なわれてしまう。1942年にこの問題が明らかになるとプルトニウム爆弾は再設計を迫られ、その結果、球形のプルトニウム・コアを通常爆薬によって圧縮し、プルトニウムの密度を上げて臨界に到達させるという'''爆縮'''(implosion)のアイデアが生まれた。
 
そこで問題は、プルトニウムの球体を全ての面から正確に等しい圧力で均等に圧縮するような仕掛けを作り出すことに移った。圧縮力に少しでも誤差偏位があると、大事なプルトニウムが爆弾の外に放り出されてしまい、大規模な爆発を起こさず不発に終わってしまう。当時存在した技術で完璧な圧縮を実現するためにこの「[[爆縮レンズ]]」を作り出すのは困難を伴ったため、マンハッタン計画の軍の最高責任者であった[[レズリー・グローヴズ]]と科学部門の責任者であった[[ロバート・オッペンハイマー]]は、この爆弾を実戦で十分な信頼性を持って使用するためには、この起爆機構の実験を行なう必要があると考えた。
 
== 実験計画 ==
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