「トリニティ実験」の版間の差分
→爆発: cl
(→実験の準備: より厳密に記す) |
(→爆発: cl) |
||
=== 爆発 ===
[[ファイル:Trinity shot color.jpg|thumb|right|220px|トリニティ実験での核爆発を捉えた数少ないカラー写真の一枚]]
7月16日午前4時45分になって気象情報が好転し、午前5時10分に20分前の秒読みが開始された。最上級の研究者や軍人たちのほとんどは実験塔から16km南西に設けられたベースキャンプから実験を見守った。その他の多くの見物人は約32km離れた位置におり、それ以外にも様々な距離に陣取った人々がいた([[物理学者]]の[[リチャード・ファインマン]]は、自分は支給された遮光ガラスを使わずに爆発を見た唯一の人間だと書いている。彼は有害な[[紫外線]]を遮断するためにトラックの風防ガラス越しに爆発を観察した <ref name = Fey00>[[リチャード・P・ファインマン|Richard Feynman]] (2000), ''The Pleasure of Finding Things Out'' p. 53-96 ISBN 0-7382-0349-1</ref>)。最終秒読みは物理学者の[[サミュエル・アリソン]]によって読み上げられた。
現地時間(アメリカ山岳部[[戦時標準時]])の5時29分45秒に爆弾は爆発し、TNT
:: ''我は死なり、世界の破壊者なり
: ''Death am I, and my present task''
: ''I am become Death, the shatterer of Worlds.''
この引用句やその翻訳のバリエーション、報告されている詩句の形についての詳しい議論は、James A. Hijiya, "The ''Gita'' of Robert Oppenheimer" ''Proceedings of the American Philosophical Society'', 144:2 (June 2000). [http://www.aps-pub.com/proceedings/1442/Hijiya.pdf] を参照のこと。</ref>。
実験責任者のケネス・ベインブリッジはオッペンハイマーに対して、"Now we are all sons of bitches."(これで俺達は皆糞ったれだ)と言った。オッペンハイマーの弟の[[フランク・オッペンハイマー]]によれば、ロバート・オッペンハイマーは爆発の瞬間、ただ "It worked."(うまくいったな)と言ったという。
[[ファイル:Trinity-ground-zero-men-in-crater.jpg|thumb|left|220px|実験後の爆心地]]
当時の[[ニュース]]では、実験場から約240km西にいた森林警備隊員が「閃光の後に爆発音と黒い煙
[[ファイル:Trinity crater.jpg|right|thumb|220px|実験直後のトリニティクレーターの航空写真。画面右下(南東)の角に見える小さなクレーターは TNT 100トンを用いた予備実験でできたクレーター]]
|