「トリニティ実験」の版間の差分

実験の結果は[[ハリー・トルーマン]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]の元に伝えられ、[[ポツダム会談]]で[[ソビエト連邦]]との交渉のカードとして使われた。しかしトルーマンは、[[ヨシフ・スターリン]]に非公式に原子爆弾のことを伝えた際に彼が反応を示さなかったことにいささかショックを受けた。スターリンは既にアメリカの計画について[[スパイ|諜報員]]を通じてよく知っていた。
 
トリニティ実験の成功に続いて、日本に対して使用するために2発の爆弾が準備された。8月6日に日本の広島に投下された1発目の爆弾は「[[リトルボーイ]]」というコードネームで呼ばれ、核分裂物質としてウラン235が使われていた。このタイプの原子爆弾は実験を行なっていなかったが、爆縮型の原爆に比べて構造がはるかに単純なため、ほぼ間違いなく正常に作動することが予想された。それ以前に、ウラン235はこの時点で爆弾1発分しか生産できていなかったため、いずれにせよ投下前に実験を行なうことはできなかった。[[8月9日]]に長崎に投下された2発目の爆弾は「[[ファットマン]]」というコードネームで呼ばれ、トリニティ実験でテストされたのと同じタイプのプルトニウム爆弾だった。広島と長崎への原子爆弾投下によって少なくとも12万人以上の人々が即死し、その後も時とともに多くの人々が犠牲となった。非戦闘員の無差別虐殺であるという主張や、これによって長期的に見ればより多くの人命を救う結果となったという主張も存在する(原子爆弾投下に関する歴史的疑問やこれを取り巻く議論については[[広島市への原子爆弾投下]]及び[[長崎市への原子爆弾投下]]を参照のこと)。
 
[[ファイル:Trinity_Test_-_Oppenheimer_and_Groves_at_Ground_Zero_001.jpg|right|thumb|300px|実験の数週間後に実験塔の跡地に立つレズリー・グローヴス中将(左端、軍服姿)やロバート・オッペンハイマー(中央、帽子を被っている)]]
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