「イッズッディーン・アイバク」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
編集の要約なし
7行目:
アイバクはシリアのアイユーブ朝との戦いにおける後顧の憂いを絶つために周囲の[[ムスリム]](イスラム教徒)諸君主との友好に努めたが、[[イラク]]の[[モースル]]のアミールと友好を深めるためにアミールの娘との縁組を行おうとしたことが命取りとなった。後ろ盾であるバフリー・マムルークを失って孤立無援となっていた前スルタンのシャジャルッドゥッルは、サーリフの寡婦として夫アイバクのスルタン位を保証していた自身の地位がアイバクの縁談によって脅かされることを悟り、1257年、先手を打って宮廷内でアイバクを殺害させた。しかし陰謀はすぐに露見し、シャジャルッドゥッルもまたアイバクのマムルークたちによって殺害された。アイバクの後継のスルタンには彼の先妻との間の子、アリーが即位したが、やがて若く力のないアリーは、[[バグダード]]を征服してアッバース朝を滅ぼした[[モンゴル]]軍がシリアに迫るという国難のさなかに父のマムルークの最有力者であるアミール、クトゥズによって廃され、アイバクの王統は2代で途絶えた。
 
[[Category:マムルーク朝の君主|あいはく]]
[[Category:イスラム史の人物|あいはく、いっすってぃーん]]
[[Category:1257年没|あいはく いつすつていん]]