「合浦公園」の版間の差分

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==沿革==
*1880年頃:旧[[弘前藩]]の庭師、水原衛作が自らの手で公園の造成を開始する。
*1885年:衛作、公園建設の過労がもとで死去。
*1894年:衛作の死の後、仕事を引き継いだ弟の柿崎巳十郎が公園を完成させ、青森町(現在の青森市)に寄付する。
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==三譽の松==
樹齢460年以上と言われる傘型の黒松で、市文化財として[[天然記念物]]に指定されている。現在の公園敷地の中央部に位置し、公園を東西に貫く歩道(旧[[奥州街道]])の脇にある。歴代の[[弘前藩]]主が地方巡見の際にこの松の下で酒宴を催し、藩主自ら酒を献上したと言われている。[[平成3年台風第19号|1991年の台風19号(りんご台風)]]により、大枝を損傷し切除したため、かつてに比べると容姿は損なわれているとも言われるが、今なお公園を代表する老松であることに変わりはない。
 
== アクセス ==