「山内雅人」の版間の差分

「ベテラン」を除去(定義が不明確で価値判断を含む。歴史上の人物を「ベテラン」とはいわないのでは)
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(「ベテラン」を除去(定義が不明確で価値判断を含む。歴史上の人物を「ベテラン」とはいわないのでは))
| 没月 = 4
| 没日 = 7
| ジャンル職業 = [[俳優]]・[[声優]]・[[ナレーター]]
| ジャンル = [[吹き替え]]・[[アニメ]]ほか
| 活動時期 = [[1951年]] - [[2003年]]
| 活動内容 = [[1951年]]:『[[笛吹童子]]』霧ノ小次郎役でデビュー。
 
== 来歴・人物 ==
テレビ放送の草創期から声優として活躍したベテランの1人。主に洋画吹き替えで活動し、[[モンゴメリー・クリフト]]や[[タイロン・パワー]]などの二枚目俳優を担当した。ラジオ『楽天くらぶ』の司会やテレビ『私だけが知っている』のナレーターとしても活躍し、出演本数は2万本以上とも言われる。
 
[[1950年]]に早稲田大学を卒業して、[[1951年]][[日本放送協会|NHK]][[東京放送劇団]]に4期生として入団。同期に[[黒沢良]]、[[川久保潔]]ら。[[ラジオドラマ]]『[[笛吹童子]]』の霧ノ小次郎役でデビュー。NHKではNHK放送業務局長賞を受賞している。[[1977年]]に退団した後は、フリーで活動。
美しい話し言葉の普及と朗読に力を入れ、朗読会や朗読教室を主宰。[[1974年]]には国語学者の[[金田一春彦]]と共にNHK文化基金を元に、[[江戸]]と東京の言葉を聴衆する放送表現教育センターを設立。同センターはやがてナレーターや声優の養成所となり、山内は代表を務めて後進の指導にあたっていた。
 
[[2003年]][[4月7日]]に[[肺癌]]のため去した。享年74。
 
=== 後任 ===