「金沢市」の版間の差分

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{{日本の市
|画像 = Kanazawa montage.jpg
|画像の説明 = 左上:[[金沢城|金沢城址]]、右上:[[兼六園]]<br />左中:[[近江町市場]]、右中:[[東山ひがし|ひがし茶屋街]]<br />左下:金沢市街、右下:[[尾山神社]]
 
|市章 = [[ファイル:Flag of Kanazawa, Ishikawa.svg|100px|金沢市旗]]
 
== 概要 ==
[[江戸時代]]には、[[江戸幕府]](約700万[[石 (単位)|石]]と言われる)を除いて、大名中最大の102万5千石の[[石高]]を領する[[加賀藩]](「'''加賀百万石'''」)の[[城下町]]として栄え、人口規模では[[江戸]]・[[大阪|大坂]]・[[京都|京]]の[[三都]]に次ぎ、[[名古屋市|名古屋]]と並ぶ大都市であった。[[第二次世界大戦]]中、アメリカ軍からの空襲を受けなかったことから市街地に歴史的風情が今なお残っている。空襲の被害者やその遺族が少ない地域という理由から、終戦間もない頃には国際交流を目的として来日するアメリカ市民の滞在先としても選ばれた。また、長年の都市文化に裏打ちされた数々の[[伝統工芸]]、[[日本三名園]]の一つとして知られる[[兼六園]]、[[加賀藩]]の藩祖・[[前田利家]]の金沢入城に因んだ[[金沢百万石まつり|百万石まつり]]、さらに庶民文化([[宝生流|加賀宝生]]や[[郷土料理]]の[[治部煮]]等)などにより、[[観光都市]]として知られる。[[2009年]]には[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[創造都市ネットワーク|創造都市]]に認定された(国内では[[神戸市]]、名古屋市に続く3番目、クラフト&フォークアート部門では[[アジア]]初
 
== 地理 ==
 
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[一向一揆]]で[[本願寺]]の拠点が置かれた尾山御坊(金沢御坊)と、その周辺の寺内町を起源とする。天正8年([[1580年]])、[[織田信長]]配下の[[柴田勝家]]の甥[[佐久間盛政]]が尾山御坊を攻め落とし、その地に尾山城を築城した。
[[ファイル:Kanazawa Castle Gate.JPG|thumb|240px|right|[[金沢城|金沢城址]]
[[賤ヶ岳の戦い]]以降、[[前田利家]]が尾山城(金沢城)を居城とし、[[加賀藩]]の原型が形成された。慶長5年([[1599年]])に利家が死去すると、翌年には[[関ヶ原の戦い]]が起こる。利家の遺領を相続した長男の[[前田利長]]は、東軍の[[徳川家康]]につき、戦後、西軍に属した弟の[[前田利政]]の所領を与えられ、[[加賀国]]、[[能登国]]、[[越中国]]を有する大大名となる。3代目藩主[[前田利常]]の時代には、[[十村制]]や[[改作法]]といった農政改革を進め、支配機構の整備が行われ藩体制が確立した。5代目藩主[[前田綱紀]]は[[名君]]として名高く、[[木下順庵]]や[[室鳩巣]]、[[稲生若水]]といった学者の招聘につとめ学問を振興した。また彼は書物や美術工芸品の収集にも努め、それらは[[尊経閣文庫]]と呼ばれ現在に残る。その後金沢は150余年に渡り、加賀百万石の[[城下町]]として繁栄することとなる。[[参勤交代]]の時、[[前田氏]]は約2,000人の家来を従え、現在の価値で片道約7億円をかけて[[江戸]]との間を往来した。
 
 
==== 神社 ====
[[ファイル:Kanazawa-C-2860.jpg|thumb|190px|尾山神社神門<br />三層目の窓に五色のステンドグラスがはめ込まれている。設置されている[[避雷針]]は日本最古。]]
 
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