「ファビオ・カルボーン」の版間の差分

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*体重:68kg
*[[血液型]]:RH+O型
*趣味:[[ジェッ水上オースキーバイ]][[サッカー]][[スクーバダイビング]]
*会話:[[ポルトガル語]][[英語]][[フランス語]][[イタリア語]][[スペイン語]]の五ヶ5か国語を操れる。
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9歳の時に[[ブラジル]]国内でカートを始め、16歳でブラジル国内のカート選手権で優勝する。[[1999年]]に4輪レースにデビューし、[[2001年]]からは活動の拠点を[[ヨーロッパ]]に移した。[[2002年]]からは[[ルノー]]・ドライバー・デベロップメント(略称RDDルノーの若手ドライバー育成プログラム)に選ばれ、[[イギリス]][[フォーミュラ3|F3]]選手権を戦っている。この年には、[[国際自動車連盟|FIA]] CUPと呼ばれるFIA公認のシリーズを超えたF3世界戦の一つである「[[マールボロ (タバコ)|マールボロ]]・マスターズ」で優勝し、彼の名前を深く印象付けることとなった。2003年はユーロF3選手権を戦うと同時に、同じくFIA CUPであるF3[[マカオグランプリ|マカオGP]]に出場し、予選でポ-ルポジションを奪う(決勝2位、日本勢では[[平中克幸]]が3位表彰台に入った)活躍を見せた。
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[[2004年]]は来日し、ThreeBondから全日本F3選手権に出場。[[2005年]]はヨーロッパへ戻ってユーロF3を戦い、[[2006年]]は再び来日して全日本F3選手権(体制は2004年と同じ)を戦うなど、ヨーロッパ→日本→ヨーロッパ→日本と、戦場を激しく移動している。
 
彼のドライバーとしての評価であるが、FIA CUPなどの大舞台では好成績を残すなど、ここ1発では強さを見せる反面、調子の波が大きく安定的な結果を残せないでいる。
 
[[2007年]]は[[フォーミュラ・ニッポン]]にステップアップするとともに、[[SUPER GT]]・500クラスにも参戦し、[[ロイック・デュバル]]と外国人コンビを結成している。なお、コンビを組むロイック・デュバルもRDD出身者である。