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'''ジョン・ニューカム'''('''John Newcombe''', [[1944年]][[5月23日]] - )は、[[オーストラリア]]・[[シドニー]]出身の男子[[テニス]]選手。[[1960年代]]から[[1970年代]]前半にかけて、オーストラリア・テニス界の黄金時代を築いた名選手のひとりである。フルネームは ''John David Newcombe'' (ジョン・デビッド・ニューカム)という。重いサービスとフォアハンド・ストローク、ボレーを中心に組み立てるプレー・スタイルで、芝生の[[ウィンブルドン選手権]]を最も得意にした。[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]でシングルス通算「7勝」([[全豪オープン]]2勝、ウィンブルドン3勝、[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]2勝)を挙げたが、赤土のクレーコートが苦手で、[[全仏オープン]]ではどうしても優勝できなかった選手の1人である。
== 来歴 ==
ジョン・ニューカムは子供の頃から様々なスポーツに親しんだが、本格的に[[テニス]]に専念したのは17歳を過ぎてからだったという。当時の男子テニス国別対抗戦・[[デビスカップ]]の[[オーストラリア]]代表監督だった[[ハリー・ホップマン]]([[1906年]] - [[1985年]])に才能を認められ、ニューカムは[[1963年]]からデビスカップのオーストラリア代表選手となった。[[1964年]]から[[1967年]]まで、ニューカムはオーストラリア・チームのデ杯4連覇に貢献した。[[1967年]]に、ニューカムは[[1967年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン選手権]]と[[1967年全米テニス選手権 (テニス)|全米選手権]]で[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]2連勝を達成する。この当時、ニューカムはアマチュアのテニス選手であった。この年まで、テニス4大大会([[全豪オープン|全豪選手権]]、[[全仏オープン|全仏選手権]]、[[ウィンブルドン選手権]]、[[全米オープン (テニス)|全米選手権]])の出場資格はアマチュア選手に限定されていた。
 
その翌年、[[1968年]]にテニス史上最大の転換期が訪れ、4大大会の「オープン化」措置が実施された。これはプロテニス選手の4大大会出場を解禁する措置のことで、大会の名称もそれぞれ[[全豪オープン]]、[[全仏オープン]]、[[ウィンブルドン選手権]]、[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]に変更された。[[1968年]]以後のテニス記録は「[[オープン化時代]]」(Open Era)と呼ばれ、それ以前の時代とは明確に区別される。ニューカムはそれまでアマチュア選手であったが、この措置が実施された後プロ選手に転向した。[[1970年ウィンブルドン選手権|1970年]]と[[1971年ウィンブルドン選手権|1971年]]、ニューカムはウィンブルドン選手権で大会2連覇を達成した。[[1973年]]には[[1973年全米オープン (テニス)|全米オープン]]で6年ぶり2度目の優勝を飾っている。ウィンブルドンと全米オープンにおいては、ニューカムの初優勝はアマチュア選手時代の[[1967年]]であったことから、これら2つの大会ではアマチュアとプロの両方の立場でタイトルを獲得する偉業を成し遂げた。地元の[[全豪オープン]]では[[1973年全豪オープン|1973年]]と[[1975年全豪オープン|1975年]]の2度優勝しているが、これらは「オープン化時代」以後にプロ選手として獲得したものである。プロ選手としてのニューカムは、シングルス32勝とダブルス41勝を記録し、[[1974年]]に男子プロテニスツアーで世界ランキング1位の座についた。
ジョン・ニューカムは子供の頃から様々なスポーツに親しんだが、本格的に[[テニス]]に専念したのは17歳を過ぎてからだったという。当時の男子テニス国別対抗戦・[[デビスカップ]]の[[オーストラリア]]代表監督だった[[ハリー・ホップマン]]([[1906年]] - [[1985年]])に才能を認められ、ニューカムは[[1963年]]からデビスカップのオーストラリア代表選手となった。[[1964年]]から[[1967年]]まで、ニューカムはオーストラリア・チームのデ杯4連覇に貢献した。[[1967年]]に、ニューカムは[[1967年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン選手権]]と[[1967年全米テニス選手権|全米選手権]]で[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]2連勝を達成する。この当時、ニューカムはアマチュアのテニス選手であった。この年まで、テニス4大大会([[全豪オープン|全豪選手権]]、[[全仏オープン|全仏選手権]]、[[ウィンブルドン選手権]]、[[全米オープン (テニス)|全米選手権]])の出場資格はアマチュア選手に限定されていた。
 
その翌年、[[1968年]]にテニス史上最大の転換期が訪れ、4大大会の「オープン化」措置が実施された。これはプロテニス選手の4大大会出場を解禁する措置のことで、大会の名称もそれぞれ[[全豪オープン]]、[[全仏オープン]]、[[ウィンブルドン選手権]]、[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]に変更された。[[1968年]]以後のテニス記録は「[[オープン化時代]]」(Open Era)と呼ばれ、それ以前の時代とは明確に区別される。ニューカムはそれまでアマチュア選手であったが、この措置が実施された後プロ選手に転向した。[[1970年ウィンブルドン選手権|1970年]]と[[1971年ウィンブルドン選手権|1971年]]、ニューカムはウィンブルドン選手権で大会2連覇を達成した。[[1973年]]には[[1973年全米オープンテニス|全米オープン]]で6年ぶり2度目の優勝を飾っている。ウィンブルドンと全米オープンにおいては、ニューカムの初優勝はアマチュア選手時代の[[1967年]]であったことから、これら2つの大会ではアマチュアとプロの両方の立場でタイトルを獲得する偉業を成し遂げた。地元の[[全豪オープン]]では[[1973年全豪オープン|1973年]]と[[1975年全豪オープン|1975年]]の2度優勝しているが、これらは「オープン化時代」以後にプロ選手として獲得したものである。プロ選手としてのニューカムは、シングルス32勝とダブルス41勝を記録し、[[1974年]]に男子プロテニスツアーで世界ランキング1位の座についた。
 
ジョン・ニューカムはダブルス選手としても優れ、同じ[[オーストラリア]]の[[トニー・ローチ]]とのペアで天下無敵の強さを発揮した。ニューカムはダブルスではすべての4大タイトルを獲得しているが(全豪5勝、全仏3勝、ウィンブルドン6勝、全米3勝=総計17勝)、そのうち12勝がローチとのコンビである。(ニューカム&ローチ組の4大大会ダブルス優勝:全豪4勝、全仏2勝、ウィンブルドン5勝、全米1勝=総計12勝)男子テニスの歴史を通じて、同一ペアですべての4大大会男子ダブルス・タイトルを獲得した組は6組だけであるが、ニューカム&ローチ組はその1つに数えられる。[[1986年]]、ニューカムはローチと一緒に[[国際テニス殿堂]]入りを果たした。
* [[ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]] 男子シングルス:3勝(1967年・1970年&1971年)/男子ダブルス:6勝(1965年・1966年・1968年-1970年・1974年) [男子シングルス2連覇・男子ダブルス3連覇を含む]
* [[全米オープン (テニス)|全米オープン]] 男子シングルス:2勝(1967年、1973年)/男子ダブルス:3勝(1967年・1971年・1973年)/混合ダブルス:1勝(1964年)
 
 
{| class="wikitable"
| [[1967年]] || [[1967年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン選手権]] || {{flagicon|Germany}} [[ウィルヘルム・ブンゲルト]] || 6-3, 6-1, 6-1
|-style="background: #CCF;"
| [[1967年]] || [[1967年全米テニス選手権 (テニス)|全米選手権]] || {{flagicon|United States}} [[クラーク・グレーブナー]] || 6-4, 6-4, 8-6
|-style="background: #CF9;"
| [[1970年]] || [[1970年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン選手権]] || {{flagicon|Australia}} [[ケン・ローズウォール]] || 5-7, 6-3, 6-2, 3-6, 6-1
|-style="background: #CF9;"
| [[1971年]] || [[1971年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン選手権]] || {{flagicon|United States}} [[スタン・スミス]] || 6-3, 5-7, 2-6, 6-4, 6-4
|-style="background: #CFF;FD5"
| [[1973年]] || [[1973年全豪オープン|全豪オープン]] || {{flagicon|New Zealand}} [[オニー・パルン]] || 6-3, 6-7, 7-5, 6-1
|-style="background: #CCF;"
| [[1973年]] || [[1973年全米オープン (テニス)|全米オープン]] || {{flagicon|Czech Republic}} [[ヤン・コデシュ]] || 6-4, 1-6, 4-6, 6-2, 6-3
|-style="background: #CFF;FD5"
| [[1975年]] || [[1975年全豪オープン|全豪オープン]] || {{flagicon|United States}} [[ジミー・コナーズ]] || 7-5, 3-6, 6-4, 7-6
|-
|}
 
 
{{テニスグランドスラム大会男子シングルス優勝記録}}
 
=== 男子ダブルスの4冠達成ペア ===
* [[フランク・セッジマン]]&[[ケン・マグレガー]] (ともに[[オーストラリア]]、[[1951年]]に唯一の「年間グランドスラム」)
* [[ケン・ローズウォール]]&[[ルー・ホード]] (ともに[[オーストラリア]]、[[1953年オーストラリア選手権 (テニス)|1953年]] → [[1956年全米テニス選手権 (テニス)|1956年]])
* [[ロイ・エマーソン]]&[[ニール・フレーザー]] (ともに[[オーストラリア]]、[[1959年ウィンブルドン選手権|1959年]] → [[1962年オーストラリア選手権 (テニス)|1962年]])
* '''ジョン・ニューカム'''&[[トニー・ローチ]] (ともに[[オーストラリア]]、[[1965年オーストラリア選手権 (テニス)|1965年]] → [[1967年全米テニス選手権 (テニス)|1967年]])
* [[マーク・ウッドフォード]]&[[トッド・ウッドブリッジ]] (ともに[[オーストラリア]]、[[1992年全豪オープン|1992年]] → [[2000年全仏オープンテニス|2000年]])
* [[ヤッコ・エルティン]]&[[ポール・ハーフース]] (ともに[[オランダ]]、[[1994年全豪オープン|1994年]] → [[1998年ウィンブルドン選手権|1998年]])
* [[ボブ・ブライアン]]&[[マイク・ブライアン]] (ともに[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[2003年全仏オープンテニス|2003年]] → [[2006年ウィンブルドン選手権|2006年]])
== 外部リンク ==
* {{ITHF|john-newcombe|ジョン・ニューカム}}
[[Category:1944年生]]
[[Category:存命人物]]
__NOTOC__
 
[[bg:Джон Нюкъмб]]
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