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'''中西 悟堂'''(なかにし ごどう、[[明治1895年]]28年([[1895年明治]]28年)[[11月16日]] - [[昭和1984年]]59年([[1984年昭和]]59年)[[12月11日]])は、[[野鳥]]研究家で[[歌人]]・[[詩人]]。[[文化功労者]]。日本における野鳥の研究・保護の礎を築いた[[日本野鳥の会]]の創立者。本名は富嗣、悟堂は法名。他に筆名として赤吉(しゃくきち)。「野の鳥は野に」を標語に自然環境の中で鳥を愛で、保護する運動を起こした。「[[野鳥]]」や「探鳥」は悟堂の造語。
== 生涯 ==
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