「百武源吾」の版間の差分

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百武には一男九女があり、女婿には[[五・一五事件]]の特別弁護人を務めた[[浅水鉄男]](殉職)などがいた。しかし男子は夭逝し、お手伝いであった女性を養女とし全財産を譲渡した<ref>『異色の提督 百武源吾』p190</ref>。
 
昭和51年(1976年)に94歳で死去。兵学校30期生187名<ref>義済会員名簿による。病のため卒業試験に出席できなかった[[津留雄三]]を含む。</ref>の最後を飾る大往生であった。
 
== 年譜 ==
*[[1902年]](明治35年)12月14日 - 海軍兵学校卒業(30期)。海軍少尉候補生。