「奥州市」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
64行目:
[[ファイル:Gosannen kassen.jpg|thumb|400px|[[後三年の役]]『後三年合戦絵巻』(金沢柵付近 1087年) [[源義家|源義家軍]]は、[[雁]]の飛ぶ列の乱れから敵の伏兵(左下)を知った。]]
* 平安時代後期、[[衣川]]を拠点とする[[豪族]]であった[[安倍氏 (奥州)|安倍氏]]が[[俘囚]]長として[[奥六郡]]を支配し、近辺では[[国司]]よりもはるかに強力な勢力を持つに至った。しかし[[前九年の役]]で、[[出羽]]の俘囚長・[[清原氏]]の援軍を得た[[源頼義]]・[[源義家|義家]]親子により滅ぼされた。
* 平安時代末期、前九年の役および[[後三年の役]]を経て、清原清衡([[藤原清衡]])が実父の姓に復して藤原氏を名乗り、根拠地を[[江刺郡]][[豊田館]]から[[磐井郡]][[平泉]](現在の[[平泉町]])に移して、人口規模で[[京都]]に次ぐ国内第二の都市[[平泉]]を中心とした独自の地方政権を打ち立て、[[浄土思想]]を基盤とする黄金文化が花開いた。平泉の街は奥州市域にも広がっており、衣川区は藤原氏の商業都市として、前沢区は手工業生産が行なわれていた川湊として栄えた。安倍氏の血を引く[[奥州藤原氏]]は、約100年間に渡って東北全域を支配した。しかし四代目当主・[[藤原泰衡]]のとき、[[源義経]]を匿ったことを口実に[[源頼朝]]の侵略を受けて滅亡した。
 
==== 中世 ====