「クラーニヒシュタイン音楽賞」の版間の差分

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当初は現代音楽の演奏家の活動を振興する目的で、1952年から演奏部門のみ開催された。当初は順位を付し、ソロからアンサンブルまで全て同じカテゴリーで審査され、国際コンペと銘打たれた。著名な現代音楽のスペシャリストが入賞者名簿に多く確認できる。当時は、20世紀前半の作品も課題に入っていた。
 
1970年代から「前衛の時代を生きた」人々の手によって審査される作曲部門も開かれ、現在まで多くの審査員や聴衆を騒がせており、たくさんの伝説が生まれている。[[ヴォルフガング・リーム]]や[[デトレフ・ミュラー=ジーメンス]]は若くしてこの賞に輝き、この賞のレヴェル向上に貢献した。1980年代からは前衛不毛の地と呼ばれたイギリスやアメリカからも入賞者が続々と誕生し、競争率がさらに上がることとなる。[[モートン・フェルドマン]]が講師としてはじめて招かれた回は、弟子の[[ブニタ・マーカス]]にいきなり受賞させてしまうなど、波乱も相次いだ。
 
1990年代からあまりに多数の人々に受賞させてしまうために、一種の乱発状態に陥った。このため「クラーニヒシュタイン賞」と「奨学生賞」の二部門に分けて受賞させるシステムに変更したが、受賞者の数の多さは変わっていない。これらは2008年度までの監督を務めた[[ゾルフ・シェーファー]]の方針であり、2010年度からのシステムは、根本から変更された。