「ブミプトラ政策」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
→批判: マラヤ連邦から1963年マレーシアまでの流れ |
→対象: 北京語の普及した現状を反映 |
||
12行目:
ブミプトラ政策では、企業の設立や租税の軽減などの経済活動のほか、公務員の採用などでもマレー系住民が優遇されている。また、マレー人の子女は国立大学への優先的に入学できるようになっているため、他民族の子女は必然的にシンガポールや[[オーストラリア]]といった海外へ留学せざるを得ない<ref>http://www.oshima-k.ac.jp/kakari/tosho/kiyou/kiyou39/contents/18-17%20Miyaoku.pdf</ref>。これがマレーシアの国公立大学のレベルが急落している原因と指摘されることもある。
なお、マレーシアにおける中国系民族の多くは[[広東語]]と[[福建語]]
この政策によって政治・行政におけるマレー人の優位確立には成功したが、政策を推進した前首相[[マハティール・ビン・モハマド]]は近年の著書で、「マレー人には勤勉さが足りない」などと、マレー人優遇が思い通りの成長につながらなかったことを述べている。
|