「ジャパニーズ・メタル」の版間の差分

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=== 1980年代後期 ===
1980年代後半は、LOUDNESS、VOW WOWに続いてANTHEMがLAでライブを行い、1987年にFLATBACKERが[[EZO|E・Z・O]]と名を変えて[[ジーン・シモンズ (ミュージシャン)|ジーン・シモンズ]]の[[プロデュース]]で世界デビューし、聖飢魔IIを脱退したギタリスト[[大橋隆志]]も渡米後にアメリカ人と結成した日米混成バンド「[[キャッツ・イン・ブーツ|Cats In Boots]]」で世界デビューを果たすなど、日本発のHR/HMシーンがが開花し、ひとつの頂点を極めようとしていた時期であった。
 
だが、この時期、ジャパメタシーンはその足元から徐々に失速の兆しを見せていた。1987年、レコード会社移籍をきっかけに44MAGNUMが「'''ヘヴィメタルなんかもう古い'''」という理由でポップなロック路線への転換を行う。だが、それまでのファンから猛反発を喰らい人気は急降下、結局はバンドそのものが方向性を見失い、1988年に[[打ち込み]]の導入に反発したドラムの[[宮脇“JOE”知史]]が脱退、その後立て直せぬままに翌1989年解散。MAKE-UPも1986年に[[テレビアニメ]]『[[聖闘士星矢]]』の主題歌「ペガサス幻想」でヒットを飛ばしたものの翌年解散。その一方、この時期には元LAZYの[[影山ヒロノブ]]がアニメ・[[特撮]]の主題歌を数多く手掛ける様になるなど、少なからぬメタル系ミュージシャンが自身の生活と芸能活動の維持の為に、メタル系以外への芸域の拡大を模索し始めていた。影山は1990年代以降、一部の楽曲で[[ゴールド・ディスク]]を獲得したりミリオンヒットを飛ばすなど、アニメソングの分野で兄貴分としてのポジションを確立しジャンルの牽引者の1人となる。ヘヴィメタル・クイーンと呼ばれた浜田麻里も1989年に「[[Return to Myself 〜しない、しない、ナツ。]]」のリリースを機に脱ヘヴィメタルを宣言し、転じた[[J-POP]]シーンでブレイクし、1990年代前半まで安定した人気を保つ事となる。
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