「樋口兼光」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
15行目:
| 氏族 = [[中原氏]]
| 父母 = [[中原兼遠]]
| 兄弟 = '''兼光'''、[[今井兼平]]、[[落合兼行]]?、[[巴御前]]?<ref name="tomoe">『[[平家物語]]』諸本では巴の出自について触れられていないが、『[[源平闘諍録]]』では兼光の娘、『[[源平盛衰記]]』では兼遠の娘で兼光の妹となっている。
</ref>
| 妻 =
| 子 = [[巴御前]]?<ref name="tomoe"/>
| 特記事項 =
}}
'''樋口 兼光'''(ひぐち かねみつ)は、[[平安時代]]末期の[[武将]]。[[中原兼遠]]の次男。[[今井兼平
== 略歴 ==
乳母子として義仲と共に育ち、弟の兼平
[[元暦]]元年([[1184年]])正月、義仲に離反した[[源行家]]・[[源義資]]を討伐するため、[[河内国]]石川へ出陣するが、その間に鎌倉源氏軍が到着し、敗れた義仲は[[粟津の戦い]]で討ち死にした。翌日、義仲の死を知った兼光は京へ戻る道中で[[源義経]]の軍勢に生け捕られた。26日、義仲らの首と共に[[検非違使]]に身柄を引き渡され、2月2日、[[渋谷高重]]によって斬首された。
|