「ギヨーム1世 (ノルマンディー公)」の版間の差分

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[[ファイル:William longsword statue in falaise.JPG|thumb|right|ギヨーム1世 (ノルマンディー公)]]
'''ギヨーム1世'''([[フランス語]]:'''<span lang="fr">Guillaume I<small><sup>er</sup></small></span>''', 生年未詳 - [[942年]][[12月17日]])は、[[ノルマンディー公国|ノルマンディー]][[ノルマンディー公|公]](在位:925年頃 - [[942年]])。剣術に秀で、[[ノルマン人]]風の[[短剣]]ではなく[[フランク人]]風の[[長剣]]を好んだことから「長剣公」(''<span lang="fr">Longue-Épée</span>'')と呼ばれる。初代ノルマンディー公に封じられた[[ロロ]](徒歩のロールヴ)の息子。
 
ギヨーム1世の生い立ちについてはほとんど知られていない。ロロが[[ノルマンディー]]に定住する前に[[ヴァイキング]]の支配地域のどこかで生まれた。母親についてはバイユー伯の娘でポッパという名前で、彼女が[[キリスト教徒]]であったという記録のみが残っている。Planctusによれば、ギヨームはクリスティアンという洗礼名を与えられたという。
 
ギヨームは925年 - 928年頃に父から公位を嗣いだ。その直後に彼があまりに[[フランク人]]化したと考えた家臣から反乱を起こされたらしいが、経過ははっきりしない。[[939年]]からギヨーム1世は[[フランドル伯]][[アルヌルフ1世 (フランドル伯)|アルヌルフ1世]]と領土を巡って戦った。この争いは[[西フランク王国|西フランク]][[フランクの一覧|王]][[ルイ4世 (西フランク王)|ルイ4世]]も巻き込んだ。
 
942年、ギヨーム1世は交渉の席でアルヌルフ1世の部下によって[[暗殺]]された。公位は息子の[[リシャール1世 (ノルマンディー公)|リシャール1世]]が嗣いだ。