「ヴェスナ・ヴロヴィッチ」の版間の差分

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== 事件後 ==
ヴロヴィッチは頭蓋骨1か所、脚2か所、[[椎骨]]3か所を骨折し、一時は腰から下が[[麻痺]]していたが、怪我が完全に治った後は[[Jat航空]]でデスクワークに就いていた。手術の後には脚の自由を取り戻し、散発的に飛行勤務に就き続けた。ヴロヴィッチは、飛行への恐怖がないのは衝突の記憶がないからだろうと話し、飛行機事故についての映画を楽しみさえした<ref name="NYT">[http://www.nytimes.com/2008/04/26/world/europe/26vulovic.html?_r=1 The New York Times - Serbia’s Most Famous Survivor Fears That Recent History Will Repeat Itself]</ref>。彼女は[[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国|ユーゴスラビア]]中の[[ヒロイン]]となった。[[ギネス・ワールド・レコーズ]]の式典では、ヴロヴィッは[[ポール・マッカートニー]]からの授与を受けた。
 
ヴロヴィッチは1990年、[[スロボダン・ミロシェヴィッチ]]大統領に批判的な見解を表明したため解雇された。彼女は、[[ブルドーザー革命]]によりミロシェヴィッチが退任に追い込まれるまで、彼への抗議活動に参加し続けていた。ミロシェヴィッチ体制に大っぴらに反旗を翻したにも関わらず当局が彼女を逮捕しなかったのは、彼女の国家的ヒロインとしての立場のためだと多くの人々は考えている<ref name="greenlight" />。彼女は[[セルビア]]の政治に関しても発言を続けている<ref name="NYT" />。