「安田潤司」の版間の差分

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m →‎来歴: 太田達也 (映画監督)
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*1962年[[山口県]][[岩国市]]生まれ、[[横浜市]]出身。
*1983年、当時のパンクインディーズ・シーンを撮ったドキュメント・パンクムービー「ちょっとの雨ならがまん」(出演/[[町田康|町田町蔵]]/[[G.I.S.M.]]/[[ラフィンノーズ]]/[[石井聰互]]ほか)で21歳で映像監督デビュー。同作品は池袋文芸座ほか、全国のロードショーで50000人以上を動員。
*1984年7月池袋文芸座で、安田の「ちょっとの雨ならがまん」と「爆裂都市」([[石井聰互]])、「闇のカーニバル([[山本政志]])」、「ノットサティスファイド([[太田達也 (映画監督)|太田達也]])」などの作品を集めたオールナイトイベント「オールナイト・フィルムGIG」で、入場人員を大きく超えたパンクスやファンが集まり、急遽併設されている映画館を開き、交互にフィルムを廻し上映した。このイベントはその年の文芸座の動員記録を作り話題になる。更に同8月文芸座ル・ピリエで「パンクス青の時代」「GISM」など安田の五本の新作ショートムビーと、「アジアの逆襲([[石井聰互]])」、「闇のカーニバル([[山本政志]])」、「無防備教室([[諸沢利彦]])」、「ノットサティスファイド([[太田達也]])」、「カスッカスッ(M大坪)」、「カンカンランラン([[塚本雪介]])」などを5日間上映した「PUNKS 5DAYS」をプロデュースし精力的に活動する。
*1985年伝説のハードコアバンド[[G.I.S.M.]]のライブビデオ「Performance 」を自らのレーベルp.p.p.projectから発売。以後、G.I.S.M.の映像を次々に発表。ギターリスト・ランディー内田の死によりG.I.S.M.は永久凍結(事実上解散)するが、このラストライブが収録されたビデオ「+R, Regicide Reverberation (2002年)」は、オンエアー・ウエストと新宿アンティノックという1日2会場でのライブが2本組みで発売された。中でも新宿アンティノックでのラストライブは、安田が撮影しているたった一台のカメラ映像のみのワンライブ・1カメラで収録されている。
*1994年、初の長編映画「ファー・イースト・ベイビーズ」を監督。ぴあフィルムフェスティバルの招待作品としてシャンテ日比谷で初公開。その後、吉祥寺バウスシアターでロードショーされた。スイマーズ、頭脳警察のパンタ、トシ、G.I.S.M.のSAKEVI、飴屋法水という知る人ぞ知るキャスト陣が出演。