「エティエンヌ・ルイ・ブーレー」の版間の差分

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[[パリ]]で生まれる。エティエンヌ・ルイ・ブーレーは[[クロード・ニコラ・ルドゥー]]とともに[[ジャック・フランソワ・ブロンデル]]の弟子であり、18世紀半ばからの[[新古典主義建築]]の影響も強く受けた。ルドゥーが著作によって影響力を持ったのに比べ、ブーレーは建築の教師であり、多くの弟子を通じて大きな影響力を持った。1762年には建築アカデミー会員に選出され、[[プロイセン王国]]の[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]]の主任建築家となった。
 
ブーレーは1672年から1778年にかけて多くの私邸を手がけたがそのほとんどは現存せず、実作としては、パリのアレクサンドル邸のほか少数が知られるのみである。彼のデザインしたサント・ジュヌヴィエーヴを巨大化させたような大教会、ピラミッド型の霊廟、超巨大[[ヴォールト]]に覆われた国立図書館、そしてニュートン記念堂などの巨大建築の計画案は、対称性が重視され、球体などの幾何学的マッスが強調された崇高なものであった。彼の影響は、[[{{仮リンク|ピエール・フランソワ・レオナール・フォンテーヌ]]|en|Pierre François Léonard Fontaine}}の「大帝国の君主たちの記念碑」や、[[{{仮リンク|アントワーヌ・ロラン・トマ・ヴォードワイエ]]|fr|Antoine Vaudoyer}}のコスリタンの家などに見ることができる。
 
フランス革命期の新古典主義の建築家には革命的な建築運動に携わっているという自負があり、建築によって社会が完全に刷新することを信じた。彼らに共通する要素は、厳格な立方体のシルエット、直線的な構成、半円の[[ドーム]]、([[コリント式]]や[[イオニア式]]よりも)[[ドーリア式]]と[[トスカナ式]]の[[オーダー]]を好んだ。
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== 関連項目 ==
* [[クロード・ニコラ・ルドゥー]](Claude Nicolas Ledoux)
* [[{{仮リンク|ジャン・ジャック・ルクー]]|en|Jean-Jacques Lequeu}}(Jean-Jacques Lequeu)
 
== 外部リンク ==
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* Internet architecture resource http://www.vitruvio.ch/arc/masters/boullee.htm
* Successor to the Académie Royale d' Architecture http://www.academie-des-beaux-arts.fr
* 映画『[[{{仮リンク|建築家の腹]]|en|The Belly of an Architect}}』(''The Belly of an Architect'' 、監督[[ピーター・グリーナウェイ]]、1987年) http://www.imdb.com/title/tt0092637/
 
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