「シルヴァーノ・ブッソッティ」の版間の差分

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フィレンツェ音楽院で学んだ後に、[[パリ]]に渡って[[マックス・ドイッチュ]]に師事。
 
== 作風 ==
本格的な活動に入るのは戦後で、すぐに[[ダルムシュタット夏季現代音楽講習会]]の常連になり、[[トータル・セリエリズム]]等の前衛イディオムを吸収する。50年代の彼は独創的な図形楽譜によって一世を風靡し、同じく図形楽譜の可能性を突き詰めた[[ローマン・ハウベンシュトック=ラマティ]]や[[ボグスワフ・シェッフェル]]と並んで話題となった。
 
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前衛の停滞以後は伝統的な記譜法に戻るものの、楽譜の外観に不便さを感じていた彼は音符の形が枝状になる新しい記譜法を発案した。この記譜法は彼の画風にも反映し、弟子の[[日野原秀彦]]も同じ記譜法を継承している。
 
人間の欲望を極度に吐露するかのような音色美は前衛の世代では大変に異色であり、[[新しい複雑性]]出現以前には「イタリアで最も複雑な音楽を書く内の一人」との評価もあった。近年は自叙伝的な作品が多い。活動当初から[[協和音程]]の多いロマンティックな詩情を漂わせていたが、前衛の停滞後は調性的な断片を適度に挿入するようになった。どの楽器編成を使っても爛れたエロティシズムが溢れる音色美学が、全創作期に一貫して認められる。
 
== ブッソッティとピアノ ==
ブッソッティにとって、ピアノは自身の美質を伝えるのに最も適したメディアであり、現在「デイヴィッド・チューダーのための5つのピアノ小品」や「ピアノのため至るまで」、「友のための音楽」など、この楽器執着ために多くの作品見せ書いている。[[デイヴィッド・チューダー]]、[[フレデリック・ジェフスキー]]、[[ジャンカルロ・カルディーニ]]、[[カルロ・レヴィ・ミンツィ]]、[[マッシミリアーノ・ダメリーニ]]、[[イヴァ・ミカショフ]]、[[マルチネ・ジョスト]]、[[マウロ・カステラーノ]](全ピアノ作品をレパートリー化した唯一の存在)、[[日野原秀彦]]と、錚々たる顔ぶれが彼の片腕となっている。また、自らも自作のピアノパートを手がけることが多く、70歳を過ぎても自作自演をすることもあり、ピアノはブッソッティにとって切り離せない楽器の一つである。
 
== マルチメディア性 ==
元来シアトリカルな身振りの多い音楽性は、ブッソッティを舞台作品の創造へ向かわせる。彼は上演に関る全ての専門に手を出し、ダ・ヴィンチ的な才能を発揮している。人間の欲望を極度に吐露するかのような音色美は前衛の世代では大変に異色であり、[[新しい複雑性]]出現以前には「イタリアで最も複雑な音楽を書く内の一人」との評価もあった。近年は自叙伝的な作品が多い。活動当初から[[協和音程]]の多いロマンティックな詩情を漂わせていたが、前衛の停滞後は調性的な断片を適度に挿入するようになった。どの楽器編成を使っても爛れたエロティシズムが溢れる音色美学が、全創作期に一貫して認められる。
 
== 近況 ==