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[[ファイル:Japanese_Messkit_CylinderType_1.JPG|right|thumb|200px|円筒形の飯盒を開けた状態]]
 
'''飯盒'''(はんごう)は、キャンプ・[[登山]]など野外における調理に使用する携帯用調理器具である。日本では主に炊飯に使われる。飯盒で飯を炊くことは「炊飯」ではなく「'''炊爨'''(すいさん)」と言う。
 
== 概要 ==
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ただし底面積が狭く、[[焜炉|コンロ]]や[[キャンプ]]用[[ストーブ]]で炊くのには向かないため、近年は普通の深鍋のような円筒型のものが販売されている。その他長方形や楕円形の飯盒なども国によって見られる。本体のほかに外蓋と中蓋があり、それぞれ[[食器]]として使用される。
 
旧軍標準では一食は[[米]]2[[合]]であるが、掛子(かけご)と呼ばれた中蓋は、すり切り1杯で2合の容量があり、外蓋1杯の水でちょうど2合の飯が炊けるようになっている(外蓋すり切り1杯で3合の米を量ることもできる)。胴体には2合と4合の米を炊く時の水の量を示す刻みが入っており、1回に最大4合の[[飯]]を炊くことができた。また携行用・調理時の吊り下げ用にワイヤー製の取っ手(弦)が取り付けられている。また湯を沸かしたり、[[スープ]]などの料理を作ることも可能である。「[[スイス]]式」と呼ばれる飯盒には外蓋に折り畳み式で[[鋼]]製のハンドルが付いており、個人用の[[フライパン]]として使える。兵式は弦で火にかける時水平になるが、スイス式はハンドルの重みで全体が傾くのでその点焚き火利用には使い勝手が良くない。
 
== 歴史 ==
飯盒は[[ヨーロッパ]]起源と思われる。[[ドイツ]]では[[19世紀]]末から現在のスイス式と同様なものが使われていた。また、[[1931年]]制定のドイツの軍装に現在と同一のデザインのものを発見できる(ただし蓋をフライパンとして使うためのハンドル付きである)。また、『[[西部戦線異状なし]]』で主人公たちが食事を受け取る際に使用されているのを見ることができる。もともとは、スープを入れる火にかけられる容器であり、個人用のフライパンであった。今日では民生用では主にキャンプ・[[登山]]などで使用される。<!--しかし、戦国時代の真田幸村の使用した飯盒(漆塗りの木製なので弁当箱というべきかもしれない)は現在のアイマスク型の飯盒と同じデザインである。洋東西を問わずこのデザインに落ち着くのであろうか。それとも、漆器として海を渡り、直接火にかけられるように改良されて里帰りしたのだろうか。歴史のロマンを彷彿とする。-->
 
日本には、[[明治維新]]の後、[[徳川慶喜]]が自宅にて飯盒にて米を炊き楽しんだという逸話があることから、洋式軍隊と共に導入されたと思われる。飯盒導入以前の兵食は[[糒]](ほしいい)や[[味噌|焼き味噌]]を携行する、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]とほとんど変わらないものであった。日本陸軍が飯盒を採用したのは、[[日清戦争]]の頃とされる。ただし、この当時の飯盒は細長い[[弁当箱]]のような単純な箱型で[[漆塗|漆塗り]](うるしぬり)や[[ホーロー]]など、直接火に掛ける事が不可能な素材で作られていたため、[[食器]]としての機能しか無かった。今日あるような調理機能を持つ飯盒が採用されるのは{{和暦|1890}}のことで、陸軍火砲製造所が製造したものであるという。これが洋式のデザインとなり、さらに米を炊くように工夫された。[[燃料]]は現地調達の木材等が使用されたが、秘匿された洞窟陣地など煙を嫌う状況下では、携帯燃料と呼ばれた缶入り固形燃料や[[ろうそく]]なども用いられた。
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=== 現在の利用状況 ===
軍用としては現在も飯盒は欧米諸国や[[ロシア]]など各国で軍装備品の中に採用されている。しかし薪が必要であることや[[レーション]]の著しい進化により、[[アメリカ軍]]では、取っ手の付いたフライパンになる皿とナイフ、フォーク[[コッヘル]]の[[メスキット]]から飯盒は除かれた。
 
また[[登山]]でも調理用ストーブの使用に不向きな事、焚き火は環境負荷が高く山火事に発展する恐れがありほとんど行われなくなったこと、レトルト食品やフリーズドライ食品の発達などにより、使われることはほぼなくなっている。
 
しかし、現代においても[[キャンプ]]や[[小学校|小]]・[[中学校]]の[[林間学校]]などにおいて野外炊爨は定番の行事であり、飯盒に代わる調理器具はいまだに登場していない。現在でも飯盒の需要は大きく、アルミ製の飯盒がホームセンターやアウトドア用品店で販売されている。
 
== 関連項目 ==