「ナバス・デ・トロサの戦い」の版間の差分

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この時、伝説のように語られるナバラ王サンチョ7世の突撃が行なわれた。ナバラ王は揮下の精鋭を率いてムハンマド・ナースィルの本陣めがけて突攻し、本陣のテントを鎖のように守る屈強な奴隷による親衛隊を打ち破って、テントまで斬り込んだ。ムハンマド・ナースィルとその軍勢は慌てふためいて、9万とも10万ともいえる犠牲者を出して敗走した。一方、カトリック連合軍の戦死者は2000人ほどであった。主な犠牲者は騎士修道会に集中していた。カラトラヴァ騎士団の旗手であるペドロ・ゴメス・デ・アセベド(Pedro Gomez de Acevedo)、サンチャゴ騎士団修道長(comendator)アルフォンソ・フェルナンデス・デ・バリャドーレス(Alfonso Fernandez de Valladares)、サンチャゴ騎士団隊長ペドロ・アリアス(Pedro Arias、大怪我を負い8月3日死亡)、テンプル騎士団隊長ゴメス・ラミレス(Gomez Ramirez)、カラトラバ騎士団隊長ルイ・ディアス(Ruy Diaz)は、指揮ができないほどの悲惨な怪我をしていた。一方、敗北したムハンマド・ナースィルは本国へ逃げ帰ることはできたものの、翌年[[マラケシュ]]で事故死した。
 
[[ファイル:Blason_NavarreBlason Royaume Navarre.pngsvg|thumb|100px|right|戦後のナバラ王国の新たな盾形紋章]]
ナバラ王国の盾形紋章はこの戦いを契機に、赤地に金の鎖が描かれて中央にエメラルドが配される図柄となった。この紋章は今も[[スペイン|スペイン王国]]の紋章の右下部分に見ることができる。