「サルヴァトーレ・シャリーノ」の版間の差分
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=== 第三期(1992 - 2004) ===
[[新ロマン主義音楽|新ロマン主義]]の流行が終わると、彼もそれを察知して「聞きにくい音響」に鞍替えした。「雲に捧げられた作品の間に」では「指がキーから離れる音」まで追求され、特殊奏法のマニエリスムからの脱却を図ろうとしている
「ソナタ第4番」は90年代に書かれた最も個性的な作品の一つであり、「[[トーン・クラスター]]」と「擬似アルペジョ」の二つの組み合わせのみで全曲が構成される特異なピアノ曲である。「音楽とは思えない素材」に対する固執はこの時期から強まり、「単一の楽器は特定の素材しか演奏しない」傾向が加速化する。「夜想曲」では沈黙の中を「擬似アルペジョ」がふらふらと舞うのみであり、痺れを切らして憤慨した聴衆の咳がCDに収録されている。この作品は同一コンセプトで現在までに6曲書かれており、場合によっては19世紀的なオクターブも使われて
=== 第四期(2005 - ) ===
ドナウエッシンゲン音楽祭2009のために「声による夜想曲の書(2009)」を出品するが、作品の評価は分かれた。
2008年に入って作曲されたリコーダーとオーケストラのための「四つのアダジオ(2008)」では、初演直後に拍手とブラヴォーと圧倒的多数のブーイングが乱れ飛んだ。休憩時間にシャリーノは放送局のブースに入り、「大変に、騒がしい初演となりました」というアナウンサーに対して、「30年前もこんな感じだったけれど、あの時は客が本気で殴りかかったんです」などと応答している。ドナウエッシンゲン音楽祭2009の出品作「声による夜想曲の書(2009)」ですら、賛否両論がはっきりと分かれた。▼
== エピソード ==
なお、リコルディ時代は英訳や独訳も受容に応じて付されていたが、RAI TRADE時代はそのような配慮は行われておらず、全文がイタリア語で書かれている。▼
*[[マウリツィオ・ポリーニ]]によって初演された「ソナタ第5番」はあまりのコーダの演奏困難さ故に「コーダを書き換える」処置に追われ、これが元でポリーニとの縁がこじれる。ポリーニのためのピアノ協奏曲(「薄暗いレチタティーボ」)も一曲書き下ろしたものの、以後はイギリスのピアニストの[[ニコラス・ハッジス]]へピアノ独奏作品の紹介を全面的に託すこととなる。
*「サックスのキークラップは『ほとんど聞こえないから100台持ってこい』」と言って、世界ではじめての100台のサックスでキークラップを行う作品を作曲した。
▲*2008年に入って作曲されたリコーダーとオーケストラのための「四つのアダジオ(2008)」では、初演直後に拍手とブラヴォーと圧倒的多数のブーイングが乱れ飛んだ。休憩時間にシャリーノは放送局のブースに入り、「大変に、騒がしい初演となりました」というアナウンサーに対して、「30年前もこんな感じだったけれど、あの時は客が本気で殴りかかったんです」などと応答している
==参考文献==
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