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# 佐藤一郎・Smith, Bob(2010年7月7日)「はじめの一歩」『甲子論集』渡辺出版、12(3): 67-78、ISBN 9781234567890。
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==学術論文の参照・引用==
アカデミズムでは、自分の論文が斯界の権威ある学術雑誌で引用(参照)されていればされているほどその研究者(引用元の論文の著者)が価値のある存在として扱われるという風習がある。[[自然科学]]や[[経済学]]ではそれが論文の「被引用回数」という形で定量的にシステム化されており、人文・社会科学系でもそこまで露骨でなくとも自分の論文が引用されることを評価する価値観は存在する。そのため、「その論文に関連する先行論文を(実際にはそれほど参考にしていないのに)形式的に参照しておく」あるいは「その論文に関する先行論文の存在は知っているが、それを明示的に参照するだけの価値が見出せないためあえて無視する」といったことが行われることがあり、[[社会学者]]の[[北田暁大]]はこれらをそれぞれ「儀式的関心」「顕示的無関心」と呼んでいる<ref>[[北田暁大]] 『“意味”への抗い―メディエーションの文化政治学』 [[せりか書房]]、2004年、187-193頁。ISBN 978-4796702560。</ref>。これらは社会学者の[[アーヴィング・ゴッフマン]]が提唱した[[儀礼的無関心]]を意識した語で、北田によれば、建前上は引用とは「自分が示唆を受けた論文を参照する」という「儀礼的・紳士的関心」に基づくことになっているが、実情としてはその中に「儀礼的・紳士的関心」と「儀式的関心」の2つが混在した状態になっているのだという。
 
== 参考文献 ==