「源重成」の版間の差分
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しかし二条天皇が六波羅御幸すると、信頼らは賊軍に転落し、攻め寄せてきた[[平清盛]]軍と交戦する。その戦いに信頼軍は破れ、重成は義朝とともに僅かな人数で東国を目指して落ち延びる。『[[平治物語]]』によると途中、[[美濃国]]にて落武者狩りの一団に遭遇した際、義朝を逃した上で「我こそは源義朝なり」と名乗って自決した。その際に、身元が割れないようにするべく、自ら散々に顔面を傷つけた上で果てたという。
== 脚注 ==
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== 関連 ==
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