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'''長徳の変'''(ちょうとくのへん)とは[[長徳]]元年([[995年]])[[4月10日]]の[[藤原道隆]]の死後、[[藤原道長]]が[[内覧]]の[[宣旨]]を得た後に起きた政変。道隆の一族、中関白家が排斥される結果となった。長徳二年([[996年]])4月、[[藤原隆家]]が[[花山天皇|花山院]]に弓を射かけるという事件を引き起こし、出雲権守に左遷された。またその際、[[藤原伊周]]は勅命によるもの以外は禁止されている呪術である[[大元帥法]]をひそかに行ったとして、大宰権帥に左遷された。どちらも実質的な配流である。また姉弟であった[[一条天皇]][[中宮]][[藤原定子|定子]]の落飾という事態をも招いた。
 
[[category:日本史|ちようとくのへん]]
[[category:平安時代|ちようとくのへん]]
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