「東峰十字路事件」の版間の差分

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特に十字路の北側に展開し、突如襲撃してきた集団に第1中隊第1[[小隊]](小隊長は福島誠一[[警部補]]、神奈川警察署外勤第一課係長、当時47歳)は、200人以上の反対派に包囲されて孤立してしまう。第1中隊第1小隊からの救援要請の無線を傍受した大隊本部は、警備本部に対して無線で救援部隊を要請するとともに、検索中の第2、第3中隊を包囲された第1中隊第1小隊の救援に向かわせようとしたが、他の中隊や大隊本部も襲撃を受け指揮系統が混乱し、大隊は総崩れとなった。この襲撃により、大隊長の堀田が腕を[[骨折]]したのをはじめ、大隊全体で80名以上が重軽傷を負った。
 
救援が来ないまま、完全に孤立した第1中隊第1小隊は、包囲する反対派から[[火炎瓶]]、[[鉄パイプ]]、[[竹槍|竹ヤリ]]、[[角材]]、[[丸太]]などで激しい攻撃を受けた。隊員たちは火炎瓶を投げつけられ火だるまになり、のた打ち回っているところを竹ヤリ、角材などで滅多打ちにされた<ref name="yomiuri19710916a"/>。またその場から撤退する隊員たちは、反対派に1ずつ数人に囲まれて、わきの林や茂みに引きずり込まれ、滅多打ちにされた<ref name="yomiuri19710917a">読売新聞 1971年9月17日付朝刊より</ref>。
 
この襲撃により、小隊長福島誠一(警部補)、第1[[分隊|分隊長]]柏村信治([[巡査部長]]、神奈川警察署外勤第一課主任、当時35歳)、隊員森井信行([[巡査]]、神奈川警察署外勤第一課、当時23歳)の3名が集団[[リンチ]]を受け死亡し、他の隊員20名以上が重傷を負い、部隊は壊滅状態となった。福島誠一警部補は、火炎瓶を浴び火だるまになり、炎を消そうと転げまわっていたところへ、反対派の集団が襲いかかり、他の隊員から奪った手錠を福島警部補にかけた上、ゲバ棒や鉄パイプで滅多打ちにされ、死亡した。柏村巡査部長と森井巡査も、倒れたまま滅多打ちにされ死亡した<ref name="asahi19710916a">朝日新聞 1971年9月16日付夕刊より</ref>。
 
その後、反対派の集団は隊員たちが血まみれで倒れ、うめく中を入れ組んだ地形を利用して逃げ去った<ref name="asahi19710916a"/>。午前7時15分頃に、大隊本部からの救援要請の無線を傍受した警備本部は、警視庁第2機動隊を第1中隊第1小隊の救援に向かわせたが、警視庁第2機動隊が東峰十字路の北側へ到達した時には、反対派は撤収した後であった。また第2大隊のうち36名は、一時的に反対派によって連行されたが、警視庁第2機動隊によって救出された。
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===司法解剖===
事件後行われた[[司法解剖]]の結果、死亡した3名の機動隊員のうち小隊長の福島誠一は、[[頭蓋骨]]亀裂骨折、頭頂部から後頭部にかけ[[脳内出血]]、12対の肋骨のうち胸部1本、背中16本が折れ、折れた骨は[[肺]]に突き刺さっていた。このほか顔、頭、左右胸部などに28ヵ所の[[打撲傷]]があった。同小隊隊員の柏村信治は、顔などから左肩かけて2度(水ぶくれができる)から3度(皮膚がただれたり、黒く焦げる)の火傷、頭蓋骨亀裂骨折、胸肋骨2本折損、頭頂部5ヵ所に打撲傷、左右腕、背中に多数の打撲傷があった。また、同じく同小隊隊員の森井信行は、頭蓋底骨折、頭部に多数の打撲傷。顔、アゴ、および胸から肩にかけて3度の火傷、左肩及び左右の足に打撲傷があった。3名とも死因は脳ざそうと、脳内出血であった<ref>毎日新聞 1971年9月17日付夕刊より</ref>。
 
=== 捜査・裁判 ===