「安井道頓」の版間の差分

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安井氏は河内守護の[[畠山氏]]一族と言われ、河内・渋川郡を領有し[[渋川氏]]を名乗っていたが、後に播磨の安井に移封され、安井氏を名乗る。
 
なお、[[安井定次]]の子とされてきたが、安井家の出身ではなく、[[平野区|平野]]の[[坂上広野]]一族の[[平野七名家]]の一つの[[成安氏]]出身の'''成安道頓'''(なりやす どうどん)が正しいとする説もある。安井道卜の子孫が道頓堀川河川敷の所有権を市と争った「道頓堀裁判」の大阪地裁判決文([[1976年]])では、「当裁判所がいずれかに認定すべき必要はなく、(中略)史家の研究に待つべきものである」と断った上で、この成安説との比較の上で「道頓の姓が安井氏であることについては多分に疑問があるといわなければならない」と述べている。