「葛井寺」の版間の差分

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==歴史==
寺伝では[[神亀]]2年([[725年]])、[[聖武天皇]]の勅願で[[行基]]が創建し、古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされ、[[平安時代]]になって[[平城天皇]]の皇子・[[阿保親王]]が再興したとされている。近世の地誌類や再興勧進帳でも以上の寺伝を踏襲しているが、実際は[[百済王]]族の子孫である[[渡来人]]系氏族葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)の氏寺として、[[8世紀]]中頃に創建されたと推定される{{要出典date=2011年9月}}。なお、平安時代初期に寺を再興したと伝えられる阿保親王の母も藤井氏である。
 
中世以前の沿革については史料が乏しく、必ずしも明確でないが、本尊千手観音坐像は奈良時代の作品であり、境内から奈良時代の古瓦が出土することなどから、創建が奈良時代・8世紀頃にさかのぼることは間違いない。境内出土の瓦の1つに[[久安]]3年(1147年)の銘があり、その頃に造営事業が行われたことが推定される。平安時代後期から観音霊場として知られるようになり、西国三十三所観音霊場が成立すると、その一つに数えられるようになった。